草思社のblog

ノンフィクション書籍を中心とする出版社・草思社のブログ。

知る人ぞ知る「伝説の古典」の教えを、わかりやすい現代語訳と解説文で紹介 『新釈 猫の妙術』佚斎樗山 著  高橋有 訳・解説

新釈 猫の妙術

ーー武道哲学が教える「人生の達人」への道

佚斎樗山 著  高橋有 訳・解説

 本書の親本である『猫の妙術』は、江戸時代の中頃に書かれた「剣術指南本」です。著者である佚斎樗山(いっさい・ちょざん)は下総国関宿(せきやど)藩の久世家に仕えた侍ですが、当時の啓蒙書「談義本」を多く書き、人気を博した人物でもありました。
 幕末の剣聖・山岡鉄舟は自分の所蔵する多くの兵法書を門下に自由に閲覧させていましたが、この『猫の妙術』だけは容易に人に見せなかったといいます。そんな剣聖にとっても唯一無二の書であり、また武道をたしなむ人間の間でひそかに読み継がれてきた『猫の妙術』は、剣術指南本とはいいながらも技術的なことにはまったく触れず、ひたすらに「心」の在り方を問題にする不思議な本でもあります。
 無敵の大ネズミをみごとに退治してみせた古猫が、剣術家と若い猫たちに「勝負」に際しての心の持ちようを教え諭す――というシンプルな枠組の物語ではありますが、そこに含まれている内容は深淵で、十全に内容を理解するには、老荘思想や禅の知識なども必要になるとされているのです。
 その古典の奥深い教えを、現代風にわかりやすく紹介するのが本書です。原典の物語のセリフや背景を補い、予備知識なしでもすっきり頭に入る内容になっています。また、より深く理解していただくために、最後に訳者によるガイドもつけてあります。
 私たちは人生のさまざまな場面で否応なく「勝負」に直面します。そんなとき、肩の力を抜いて自然体で臨むことができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。この本は、まさにそのための心構えを教えてくれる一冊なのです。

【目次より】
〈新釈パート〉
第一章 猫、大鼠の退治に臨む 
第二章 古猫、「勝負」と「上達」を語る 
第三章 勝軒、「世界」を我がものにす

〈解説パート〉
・三匹の猫はなぜ負けたのか
・「無限」に対応できる「技」でなければ勝つことはできない
・「浩然の気」とは何か?
・「作為」をなくす二つの段階
・「道理」は、「技」と一貫している
・すべてが一貫した先にある境地
・「勝ちたがる自分」を殺す
・物事の「とらえ方」の枠組みを外す
・「一」で物事をとらえれば人生の苦しみもなくなる
・「言葉」から「道理」を会得する

(担当・碇)

著者紹介

佚斎樗山(いっさい・ちょざん)

万治2年(1659年)~寛保元年(1741年)。下総国関宿藩の久世家に仕えた。当時の啓蒙書「談義本」を多く書き人気を博す。本名・丹羽十郎右衛門忠明。

訳者紹介

高橋有(たかはし・ゆう)

東京都生まれ。文学修士(国文学専攻・専門は漢文学)。幼少期より剣道、空手、柔術、総合格闘技などさまざまな武術を経験。現在も修行中。

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「データの力」が選挙を左右する――どころではなかった! 『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』ジェイミー・バートレット著 秋山勝訳

操られる民主主義――デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか
ジェイミー・バートレット著 秋山勝訳 

「トランプ大統領」を誕生させたケンブリッジ・アナリティカとは?

 今年(2018年)5月、イギリスのデータ分析会社「ケンブリッジ・アナリティカ」が破産手続きを申請した。
 2016年のアメリカ大統領選挙でトランプ陣営の情報戦争の中枢となった企業である。筆頭株主はトランプの支援者である大富豪のロバート・マーサー、取締役にはトランプ陣営の選挙参謀スティーブ・バノンが就いていた。(このあたりはジョシュア・グリーン著『バノン 悪魔の取引』に詳しい)
 同社は創業以来、2億数千万人におよぶアメリカ国民についてのデータベースを作り上げていた。「こうしたデータには、商業ベースの情報源から購入したインターネットの閲覧履歴、購入記録、所得記録、投票記録もあれば、フェイスブックや電話調査で収集された記録もあった」(本書第3章)という。
 そのビッグデータの分析に基づいて有権者をターゲットグループに分け(これを「ユニバース」と呼ぶそうだ)、それぞれの特性に応じたもっとも効果的な選挙キャンペーンを行っていた。本書は同社スタッフへの直接取材を通じて、その手法と実態についての貴重な証言を得ている。

イギリスのEU離脱、ロシアの米大統領選介入にも関与?

 同社は同年のイギリスのEU離脱投票においてもコンサルタントとして参加しているが、この英国国民投票と米国大統領選において個人情報の不正取得が疑われた。さらに米国大統領選へのロシアの介入疑惑についても、同社の手法が関与していた疑いも持たれ、そうした攻撃のさなかに同社は破産の道を選んだ。
 一国の動静をも左右する影響力を「データ分析」が生み出している。もちろんデータによる選挙戦略はネット登場の前から存在してはいるが、デジタル技術の急激な進化によるネットの、SNSの拡大、ビッグデータの分析等々はこれまでになかったスケールの変化を、きわめて見えにくい形でもたらしている。

デジタル技術は自由で民主的な世界を産み出したのか?

 本書の著者はイギリスのシンクタンク「デモス(Demos)」ソーシャルメディア分析 センターのディレクター。むろんデジタル技術の進化を否定するものではない。だが、デジタルメディア分析の専門家であるからこそ、いま現在進行形で起こりつつある事態に対して深刻な危機感を覚えている。
 たしかにネットの進化は、政治的な国境を越え、言語や文化の違いを超えて、全地球規模での自由な情報の交換と拡散を実現していると言える。SNSがジャスミン革命で活躍したように、旧来の強権による閉塞した抑圧的な社会に風穴があき、そこには自由で民主的な理想の世界が生まれるはずだ。
 が、現実はどうなのか。デジタル技術がもたらす革命は、同時に、予想されなかった変化をももたらしている。アラブの春がもたらしたものは何だったか。旧政権の打倒は新たな秩序ではなく果てしない混乱を産み出し、国境をまたぐテロリスト集団を産み出したとさえ言われる。
 もちろん、それらすべてをデジタル技術の責に帰することはできない。しかし、デジタル技術の急速な進化がもたらす影響は、人間の行動や思考の基盤を揺さぶり、民主主義社会そのものを揺るがしつつある。それが本書の指摘だ。

「私以上の私のことが知られる」監視社会、そして自由意志のゆくえ

 私が何を見て、何に関心をもち、何に「いいね!」を付けたか。そうした痕跡はすべて記録され、ネット経由で吸い上げられて膨大なビッグデータに取りこまれる。それを分析することによって「私が何者か」が驚くべき精度で、「私が知っていた以上に」把握されるという。あらゆる個人のあらゆる行動が把握されてしまう、新たなパノプティコン(全展望監視システム)社会の到来である。
 そうして個人特性が知られてしまうと、私の好みに合った商品情報が呈示されれば、私は思わずそれを買ってしまうだろう。商品のかわりに私の感情に心地よい言葉を吐く「候補者」を置けば、その名前を投票用紙に書くだろう。
 膨大なデータ分析に覆われた社会で「自由意志」はどこまで自由なのか。

感情が解き放たれ、増幅され、部族化し断片化する世界

 民主主義に求められるものは、冷静で論理的な熟考と感情に左右されない抑制の力である。それによって異なる意見も穏当な妥協点を見出していく。だが、インターネットでは直感的で感情的で本能的な思考が増幅されていく。
 間違っているのは相手であって、正しいのは自分である。意見をともにする集団が出来、意見を異にする集団と衝突、排除が始まる。こうした「部族」化によって従来の民主主義の下でコントロールされていた暴力性が解き放たれ、世界は妥協点を見失ったまま果てしなく断片化していく。

技術を持つものが世界を独占し、持たざるものとの分断が拡大する

 デジタル技術はさらに、それを持つものと持たざるものとの格差を拡大させていく。ビジネスではフェイスブック、ツイッター、アマゾン、グーグルなど自らのプラットフォームを持つ企業がより強力に支配領域を広げていく。
 人工知能の発展は旧来の仕事を奪う一方で、新たな仕事を産み出す。だがその「新たな仕事」のスキルを持つ人びとと持たない人びととの収入格差はどんどん拡大していく。こうして世界の分断化は止めようがなく広がっていく。

民主主義の脆弱さが露呈し、人間社会が抱え持つ問題が噴出する

 技術の発展はつねに光と影をともなってきた。デジタル技術もまた同様かもしれない。だが、その進化の速度はあまりにも速すぎる。問題の本質を把握し対応しようとしている間に、社会基盤の変容はとっくに先に進んでしまっている。アナログの存在である人間が追いついていないのだ。
 民主主義はデジタルではない。そもそも自由と民主主義はあい矛盾するものである。その矛盾を孕んだまま民主主義というシステムはさして進化することもなく、21世紀の今日までなんとか持ちこたえてきた。
 だが現在、デジタル技術は民主主義の脆弱さの亀裂を広げ、その亀裂から続々と問題が噴出しはじめている。デジタルという光が、人間社会の抱え持つダークサイドを掘り起こして世にバラまきつつあるのか。
 現在進行形の難題の数々を、本書は手際よく整理して突きつける。そこに見えてくるわれわれの社会の未来は、輝くユートピアか、それとも引き返すことのできないディストピアなのか。

(担当:/藤田)

著者紹介

ジェイミー・バートレット

イギリスのシンクタンク「デモス(Demos)」ソーシャルメディア分析センターのディレクター。ジャーナリスト。専門はオンライン上の社会運動やテクノロジー、ビッグデータの調査手法の研究。著書に『闇ネットの住人たち:デジタル裏社会の内幕』(CCCメディアハウス)、Orwell versus the Terrorists: A Digital Short(2015)、Radicals Chasing Utopia: Inside the Rogue Movements Trying to Change the World(2017)がある。2018年にはBBCでシリーズ「シリコンバレーの秘密」を担当している。

訳者紹介

秋山勝(あきやま・まさる)

立教大学卒業。出版社勤務を経て翻訳の仕事に。訳書に、ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー』、デヴィッド・マカルー『ライト兄弟』、曹惠虹『女たちの王国』(以上、草思社)、ジェニファー・ウェルシュ『歴史の逆襲』、マーティン・フォード『テクノロジーが雇用の75%を奪う』(以上、朝日新聞出版)など。

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クローゼットがきれいな人はなぜ「見た目」も美しいのか? 『私を美しく変える クローゼットのつくり方』ジェニファー・バウムガードナー 著 藤井留美 訳

私を美しく変える クローゼットのつくり方

ジェニファー・バウムガードナー 著 藤井留美 訳

■アメリカで人気の女性心理学者が教える「自分」と「クローゼット」の劇的改造法とは?

 いくつになっても「洋服の悩み」は尽きることはありません。しかも、年齢が上がるごとに悩みはより複雑化して、手に負えなくなっているのではないでしょうか?

    古い服や着ない服を捨てられない。
    同じような服ばかり着てしまう。
    自分に合う服が見つからない
    クローゼットはいつもごちゃごちゃ…

 本書は、こうした多くの女性が抱える「洋服の悩み」を心理学者である著者が、心理的アプローチを用いながら、解決に導く本です。
 一見誰でもができそうな“クローゼット改造”という行動を通じて、着る服のみならず、自己イメージが劇的に変わり、充実した人生へと歩き出すきっかけができる。そんな一挙両得の方法を本書では紹介します。

■無意識の服選びのパターンから、今のあなたの本当の問題がわかる!

 その具体的手法とは、まず今あるクローゼットの中身を分析し、過去の服選びのパターンから、無意識の服装選びを左右する“心理的な原因”をあぶりだし、自己の内面を掘りさげるところから始めます。
 なぜぶかぶかの洋服ばかり買ってしまうのか、なぜ実年齢よりも若い服を買ってしまうのか、なぜ目立つ服を着たくないのか……。溜め込み続けた洋服の一点一点と向き合うことは自分の内面と向き合い、自問自答をするようなものなのです。
このまるでカウンセリングのような過程を通じて、本人も気づかない過去のトラウマ、今の苦悩、未来の目標が明らかになっていきます。
 著者は、「これから先どんな人間に成長していきたいか(未来の目標)」がわかって初めて、今、本当に着るべき服を選べるようになるといいます。
 まさに、表面的なファッションのみならず生き方までを根本的に変えていく、このユニークな試みは、服装に悩む多くの日本人を救ってくれることと思います。ぜひお試しください。

■目次より 
第一章 買って、買って、買いまくる――必要以上に服を買ってしまう
第二章 さよならのとき――あふれるクローゼット
第三章 私はゾンビ――無難の殻を破りたい
第四章 私はタイムトラベラー――年齢と服装のギャップ
第五章 キャリアウーマンの幻想――仕事着以外の服がない!
第六章 ちがいのわかる女?――全身ブランドずくめ

(担当/吉田)

著者紹介

ジェニファー・バウムガードナー

気分障害、不安障害、物質関連障害、摂食障害を専門とする臨床心理学者。研究テーマは運動、栄養、心理的健康と多岐にわたる。多くの患者に接した経験から「服装の心理学」という画期的なアプローチを考案し、実践している。ワードローブ診断で、服装の選び方を左右する心理的な原因をあぶりだし、自己の内面を掘りさげることで、ファッションのみならず生き方まで変えていくこの試みは、服装に悩む多くの人に救いをもたらしている。

訳者紹介

藤井留美 (ふじい・るみ)

翻訳家。訳書にアニル・アナンサスワーミー『私はすでに死んでいる』(紀伊國屋書店)、エイミー・パーディ他『義足でダンス』(辰巳出版)、アネット・アンチャイルド『女友だちは自分を映す鏡です』(講談社)、アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女』(主婦の友社)ほか多数。

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日本という「裏口」を使って大戦へ参戦したルーズベルト外交を批判的に検証 『裏口からの参戦 [上][下] ルーズベルト外交の正体 1933-1941』チャールズ・カラン・タンシル 著 渡辺惣樹 訳

裏口からの参戦 [上][下]  ルーズベルト外交の正体 1933-1941

チャールズ・カラン・タンシル 著 渡辺惣樹 訳

 本書は第二次世界大戦の終結から間もない1952年に刊行され、大戦における米国の大義をまっこうから否定したことで議論を呼んだ歴史書 “Back Door To War”の全訳です。ヨーロッパで始まっていた大戦への介入に拒絶反応を示す米国世論を「開戦やむなし」に誘導するために、ルーズベルト大統領が利用したのが日本という「裏口(Back Door)」だった、というのが書名の由来です。
 著者のチャールズ・カラン・タンシルは当時、ジョージタウン大学で教鞭をとっていた外交史の専門家で、本書では主として米国務省に残されていた一次資料に依拠して戦間期の欧米諸国および日本の熾烈な外交交渉のプロセスを検証しています。
 「アメリカの若者を決して戦場に送らない」という公約で大統領選挙を闘い、異例の三選を果たしたルーズベルトは、一方で密かに世界大戦への参戦をもくろみ、枢軸国側にさまざまな揺さぶりをかけました。
 アメリカを戦争に引き入れて戦況を好転させたいイギリス、ルーズベルトの挑発をたくみにかわし続けるヒトラー。著者は歴史学の正当な手続きに則って列国が繰り広げた虚実紙一重の駆け引きを検証し、最終的にルーズベルトの仕組んだ「罠」にはまったのが日本だった、という衝撃的な見方を提示するのです。
 本書が世に出た1952年、アメリカは泥沼の朝鮮戦争を戦っていました。そういう時期に、直近の戦争におけるアメリカ外交の欺瞞を白日のもとに晒す本を世に出したことで、著者は厳しいバッシングにさらされ、それは著者が1964年に世を去るまで変わりませんでした。
 しかし、著者の見方を強力にサポートする証言や資料、刊行物はその後も出続け、その中には31代米国大統領ハーバート・フーバーの『裏切られた自由(原題FREEDOM BETRAYED)』や、共和党の重鎮ハミルトン・フィッシュの『ルーズベルトの開戦責任(原題FDR:The Other Side of Coin)』といった、同時代を生きた米政界の大立者による記録も含まれます。
 どのような角度から光を当てるかによって、まったく異なった見え方をするのが歴史というものですが、本書が照射する歴史の断面は日本人の歴史認識にとってきわめて重大な意味を持つにもかかかわらず(あるいはそれゆえに)、これまで実質的に黙殺されてきました。本書が、真摯に歴史に向き合おうとする心ある読者の目に留まることを願ってやみません。

(担当/碇)

著者紹介

チャールズ・カラン・タンシル

1890年生まれ。アメリカの歴史学者。ジョージタウン大学教授(1944~1957)。第二次世界大戦開戦以前は不干渉主義の立場をとり、戦後はルーズベルト外交を痛烈に批判したことで知られる。本書のほか、“America goes to War”など、アメリカ史、アメリカ外交に関する多数の著作がある。1964年没。

訳者紹介

渡辺惣樹(わたなべ・そうき)

日本近現代史研究家。北米在住。1954年静岡県下田市出身。77年東京大学経済学部卒業。30年にわたり米国・カナダでビジネスに従事。米英史料を広く渉猟し、日本開国以来の日米関係を新たな視点でとらえた著作が高く評価される。著書に『日本開国』『日米衝突の根源1858-1908』『日米衝突の萌芽1898-1918』〔第22回山本七平賞奨励賞受賞〕(以上、草思社)、『激動の日本近現代史 1852-1941』(共著・ビジネス社)、『戦争を始めるのは誰か』『第二次世界大戦 アメリカの敗北』(以上、文春新書)など、訳書にフーバー『裏切られた自由(上・下)』、フィッシュ『ルーズベルトの開戦責任』、レコード『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』、マックウィリアムス『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』(以上、草思社)などがある。

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「スゴい」「ヤバい」でなく「杞憂だね」「五十歩百歩だ」と言おう 『こども故事成語 怒髪 天を衝く』齋藤孝 著 丸山誠司 絵

声に出して読みたい・こどもシリーズ

こども故事成語 怒髪 天を衝く

齋藤孝 著 丸山誠司 絵

 SNSの発達の影響か、日本語の乱れがはなはだしくなっている。「スゴい」「ヤバい」と言った言葉の多用で語彙は貧困になり、短文で、どぎつい言葉の氾濫が見られる。
 本書の著者の齋藤孝さんは『語彙力こそが教養である』(角川書店)『大人の語彙力ノート』(ソフトバンク)などのベストセラーで、若者たちに「語彙力」「表現力」「コミュニケーション力」が社会での活躍に欠かせないということを訴えている。本書でも「故事成語」という古くからある慣用句を子供の時から覚えておくことの重要性を主張している。国語のテストの点数を上げるという直接的な効用だけでなく、子どもの生きる力を養ってくれるというのである。「人間は言葉でものを考えるから、言葉が少なければ、感情や思考が単純になってしまう。」「スゴい、ヤバいの一言ですべてをすましてしまうと、それ以上は考えなくなって、思考が止まってしまう。」(本書はじめにより)
「考えすぎ」「心配しすぎ」のことを「杞憂だね」と言うと、教養人に見られるし、表現に深みが生まれる。これは「杞憂」が古い中国の故事から生まれた慣用句であるからだ。『列子』にある逸話で、「杞」という国の人が天から空が落ちてくることを心配して夜も眠れなくなるという話が由来である。「杞憂」の「杞」というのは古代中国の国名なのである。また「たいして違いがないこと」を「五十歩百歩だね」と言うが。これは『孟子』にある逸話が由来で、孟子がある国の王様に「戦場で五十歩逃げた兵士と、百歩逃げた兵士は臆病であることに変わりがない(だから論功行賞では差をつける必要がない)」と助言した故事がもとになっている。こうした歴史的背景があって出来てきた慣用句を使って語彙を豊かにしていると(あるいはその背景まで知っていると)、思考や感情まで豊かになり、他人との会話が広がり、物事がスムーズにいくことが多い。人間は言葉でできている動物なのである。
 本書は「古い慣用句」「決まり文句」「面白い昔からの表現」「古代中国の逸話が由来の言葉」――いわゆる「故事成語」を楽しいイラストで覚えるように構成されたとても役に立つ教育絵本である。

(担当/木谷)

著者紹介

齋藤孝(さいとう・たかし)

1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。著書に『宮澤賢治という身体』(世織書房、宮沢賢治賞奨励賞)『身体感覚を取り戻す』(日本放送出版協会、新潮学芸賞)『声に出して読みたい日本語』(草思社、毎日出版文化賞特別賞)など多数。近著に『語彙力こそが教養である』(角川書店)『こども孫子の兵法』(日本図書センター)『大人の語彙力ノート』(ソフトバンク)『こども論語』『こどもギリシア哲学』『こども西郷どん』(いずれも草思社)など。NHK・ETV「にほんごであそぼ」監修など、マスコミでも活躍中。

イラストレーション

丸山誠司(まるやま・さとし)

本デビュー。『おしろとおくろ』(佼成出版社)、『こんなことがあっタワー』(えほんの杜)、『だるまなんだ』(文・おおなり修司 絵本館)、『でんしゃずし』(交通新聞社)など、ユニークで楽しい絵本を多数発表。絵本のほか、書籍や雑誌・広告イラストレーションの分野でも活躍。「僕ビール、君ビール。」のパッケージが話題。

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【立ち読み用公開】「自然」という幻想 ――多自然ガーデニングによる新しい自然保護(エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳)

「自然」という幻想
――多自然ガーデニングによる新しい自然保護
エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳

 

従来の自然保護が、人間の影響を排除して「過去の自然」を取り戻すことや「手つかずの自然」を守ることばかりに固執してきたことを批判し、もっと多様で現実的な目標を設定する自然保護のあり方を提案する本書『「自然」という幻想』。その冒頭部分を無料公開します。

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

 

 

第1章 自然を「もとの姿に戻す」ことは可能か

●自然は「遠きにありて思うもの」ではないはずだ

 過去300年で、私たちは多くの自然を失った。「失う」という言葉の持つ2つの意味でだ。まず、多くの自然が破壊されたという意味で、私たちは自然を失った。森は住居になった。小川は、暗渠と駐車場になった。リョコウバトも、ステラーカイギュウも消えて、博物館の薄暗いギャラリーの毛皮と骨格標本になった。そして私たちは、もう一つ別の意味でも自然を失った。私たちは自然のありかを見失った。私たちは、私たち自身から、自然を引き離し、見失ってしまったのである。 私たちが間違ったのは、自然は、「私たちと離れたところに」、どこか「遠く」にあると考えるようになったからだ。私たちはテレビで自然を見る。豪華な雑誌で自然を読む。私たちが思い描く場所は、どこか遠く、束縛のない野生、住民も道路もフェンスも電線もない、手つかずの、季節の変化のほかは変わることのないような場所なのだ。手つかずの野生=ウィルダネス[wilderness]という夢想が私たちに襲い掛かる。そして私たちは自然について盲目になる。

 生態学者の多くは、発見できたもっとも手つかずの場所を研究の地として、生涯を送る。保全活動家の多くは、ウィルダネスの領域を変化させまいと全力を尽くし、生涯を送る。私たちは、「原生林」の断片に、最後の「偉大な自然地」に、どこよりも希少な「手つかずの生態系」にしがみつくのだが、それらはどれも、私たちの手元から消えてゆく。石鹸の小片のように、どれも小さくなって、消えてゆく。私たちは嘆く。いつも嘆いている。守るべき場所を増加させることなどできないからだ。それらはどれも、年ごとに、衰退してゆくばかりである。

 本書は自然への新しい見方がテーマだ。慎重に管理されている国立公園も、広大な北方林も、無人の北極の地も、自然である。しかしあなたの庭の野鳥も、マンハッタンの五番街をぶんぶん飛ぶミツバチたちも、植林地で列をなすマツも、都市河川の川辺のブラックベリーやバタフライブッシュも、道端のニワウルシも、畑を駆け抜けるウズラも、雑草と藪に覆われてヘビやネズミの徘徊する放棄された畑も、「侵略種」と名指しされる植物が鬱蒼と茂るジャングルも、見事にデザインされたランドスケープガーデンも、緑化屋根も、高速道路の中央分離帯も、アマゾンの奥深くに抱かれた500年の歴史を持つ果樹園も、そして、ゴミ捨て場から芽を出したアボカドの木も、自然なのだ。

 自然はいたるところにある。しかし、どこにあるとしても必ず共通する特徴がある。「手つかずのものはない」、ということだ。いま現在、地球という惑星に、手つかずのウィルダネスは存在しない。私たちは、住み場所とする景域=ランドスケープ[landscape]を、過去数千年にわたって変化させてきた。いまやその範囲は文字通り地球全体に広がっている。深呼吸してみよう。あなたの吸い込んだ空気には、1750年の吸気に比べて36パーセントも多い二酸化炭素が含まれている。もとに戻ることはないのだ。以下の話題は、とりわけ、象徴的といえるかもしれない。廃棄された郊外の住宅にボブキャットの家族が暮らすようになった。人の気配があるとクマに襲われにくいのでイエローストーンのアメリカヘラジカは道路の脇で出産するようになった。車の複雑なクラクション音に反応してフルにさえずる野鳥たちがいる。もちろん、もっと重大なのは、気候変動のような地球規模の現象であり、生物種の移動であり、大地の大規模な改変である。

 認めるか否かにかかわらず、私たちはすでに地球全体を管理しはじめている。意識的、効率的に管理を進めるために、私たちは、自らの役割を認め、引き受けてゆかなければならないのである。私たちは、手つかずのウィルダネスへのロマンチックな思いを抑え、私たちの手で世話をすべき地球大の多自然ガーデン[rambunctious garden]という、もっと豊かな含意のある思いに、心を開く必要があるのだ。

 公園や保護地域だけが多自然ガーデンなのではない。ありとあらゆる場所が多自然ガーデンだ。公園でも、農地でも、パーキングやファストフードショップの敷地でも、あなたの家の庭でも屋根でも、環状交差点の緑地でも、自然保護を進めることができる。多自然ガーデンは行動的で楽観的だ。残された自然地を壁で囲むばかりでなく、どんどん自然を創出してゆくのだ。

 多くの保護論者が自然の定義を見直すことに心開きはじめて、「手つかずのウィルダネス」という慣れ親しんだ目標を超越した、ありとあらゆる目標をすべて受け入れるようになりつつある。実践にあたって彼らは、後の章で紹介するような新しいツールやアプローチを自在に採用できることに気づく。試して見ると、そもそも彼らを自然保護の領域に踏み込ませるきっかけとなったさまざまな価値が、そこでもしっかり重要性を維持していることがわかってくる。生存闘争に参加する種が、在来種ばかりでなくても、進化の進行を尊重することはできる。土壌形成や雨水浸透などの生態学的な過程を保護することもできる。生物多様性が本来の地でない場所で確認されても、それに驚異を感じ、その保全のために戦うこともできる。人の影響が見えても、そこに自然の美を見出すことも可能だ。その気になれば、裏庭に至高なるものを見ることもできるのである。

 

●自然を「過去の状態に戻す」ことの矛盾

 しかし、自然に関する私たちの思いを変えることは簡単ではない。あなたにとっても、私にとっても。ウィルダネスを研究し守ることに人生をかけてきた人々にとっては、とんでもなくつらいことになるのだろう。何が自然なのか、守られるべきものは何なのか、という問いに直面すると、感情を脇におく訓練を積んできたはずの科学者たちが、もっとも感情的になり頑固になることもしばしばなのだ。

 自然の概念を拡張することに関心のあるものも、問題に突き当たる。定常的で、手つかずのウィルダネスがあらゆる景域の理想だとする考えが、とくにアメリカ合衆国では、生態学や自然保護の領域に深くおりこまれてきた。たとえば、「基準となる過去の自然[baseline]」という観念がある。環境変化にかかわる研究のほとんどが、基準となる過去の自然という考え方を前提とし、利用している。基準となる過去の自然は、準拠すべきとされる状態、典型的には過去のある時点における状態であり、マイナスの変化が起こる前のゼロ点とされる。アメリカ大陸では、ある地域の基準となる過去の自然は、ヨーロッパ人が到来する以前の自然とされるのが普通だった。しかし、オーストラリアから南北アメリカにいたるまで、各地の先住民たちが周囲の環境をさまざまに改変したことがわかってきた現在、そもそも人類が到達する以前のアメリカの自然を過去の基準とすべきという議論もある。多くの自然保護者にとって、アメリカの自然を、人類到達前、あるいはヨーロッパ人到達以前に戻すことは、傷つき、病んだ大地をいやすことだと、受け取られている。自然を壊したのはわれわれだ。だからわれわれがもとに戻さなければならない。かくして、基準となる自然は、自然の現在、過去を比較する科学的な装置ではなくなるのだ。それは、善なるものであり、目的であり、唯一の正しい状態とされるのだ。

 この方式にそって地域再生や公園管理をめざす自然保護者は、まず、基準とする過去の自然を決めなければならない。次いで対象地域のその時点の特徴を見極める。どんな種類の生物が、どんな割合で生息していたのか。川はどこを流れていたか。深さ、幅、流速はどうだったか。水際線はどこにあったか。土の特性はどうか。基準とする過去の時点とそのときの地域の特性を絞れたら、地域を過去の状態に戻す大仕事に着手しなければならないのだ。除去される生物種があり、再導入される生物種もある。河川の工事が進み、土の島が配置され、一部の甲虫たちの腐食質の生息環境を用意するために樹木が伐採されることもある、等々。

 しかし生態系は移ろいやすい。基準となる過去時点の自然を決めるのは、簡単ではない。たとえばハワイ諸島の例がある。世界でもっとも僻地にある島々。数百種にのぼる固有種の多くは希少種で、絶滅の危機にある。以前の生態学者たちなら、この群島について基準とすべき過去を、ジェームス・クック船長がハワイ島に上陸した1778年にしたかもしれない。しかし、ハワイ諸島の自然を1777年以前の状態に戻すというのは、少なくとも当地にすでに1000年は暮らしていたポリネシア人たちが大規模に改変していた自然の状態に戻すということになる。それは、ポリネシア人たちが導入したタロイモ、サトウキビ、豚、鶏、ネズミなどが生息し、入植以来すでに少なく とも50種の鳥が狩猟によって絶滅していた、半ば人工化された景域なのだ。

 人類がまだ到達していなかった数万年前に基準点を移す選択をすると、そこでもまた別の問題に直面する。人間が関与しようがしまいが、生態系はつねに変化する。樹齢数千年の森林は、私たちから見れば時間を超越しているように感じられるかもしれない。私たち人類は、寿命の短い動物で、自分たちの世代時間の数倍を超えるような時間スケールを把握するのがまことに不得手なのだ。しかし、地質学者や古生物学者の視点からすれば、生態系は不断の舞踏状況にある。構成種は競合し、対抗し、進化し、移動し、新たな生物群集を形成し続ける。地質の変動、進化、気候サイクル、野火、暴風、そして変動する個体群。自然はつねに変化するのだ。ハワイでは、どの地点であれ、大地は数百年に一度、噴火活動でまっさらにされる。海を越え、風に乗って島々にたどり着く生物が新しい生息地に適応し、島々の生態系のなかに自分たちの場所を見つけてゆくのだ。

 そんな時間の流れのなかで、任意の時間を特定してしまえば、その都度新たな問題が発生する。花粉化石の記録から、樹木の年輪に刻まれた気候の記録まで、過去を探るのに利用できるあらゆる科学的な手法を駆使したとしても、1000年どころか100年単位の過去において、地域がどんな様相だったのか、明らかにはしきれないのである。

 人間の関与する以前の基準となる自然を決めることに関して、最終的でもっとも困惑する事情は、野生地の管理や再生作業そのものによって、それが、今後ますます難しくなるということだろう。最大級の国立公園の最深部から、地域の大規模商業施設の裏の雑草地にいたるまで、生態系はすべて人の手が及んでいる。私たちは地球のいたるところで自然のるつぼを攪乱している。さまざまな種を移動させている。地球の温度を上昇させている。多数の動植物を家畜化・栽培植物化している。そしてさらに多数の種を絶滅に追いやっている。私たちは文字通り地球全体を改変している。どの地点であれ、その変化をもとに戻すことは、ますます困難になっているのである。

 

●世界の絶滅首都=ハワイで移入種を除去したら……

 問題の大きさに私が最初に直面したのは2009年、ハワイを訪問したときのことだ。ホテルの窓の外の熱帯樹は素晴らしい眺めだったが、そのなかには、人為的に導入され、いまや在来種にとって脅威と考えられている樹種がたくさんあることを私は知っていたのである。ハワイが、「世界の絶滅首都」と呼ばれていることも、当地の美しい野鳥のなかに、絶滅し、また絶滅に瀕している種が多数いることも承知していた。『セントルイス・ポストディスパッチ』誌のレポータの表現によれば、ハワイは、「合衆国最大の生態学的な災厄」だが、にもかかわらず、ハワイ諸島は、過去のハワイの自然の回復をあきらめない多数の自然保護活動家で、賑わっているのである。

 最初に訪問したのは、ハワイ島東部で、低地林の回復可能性をテストしている実験区画だった。実験区画は、ハワイ州の国家陸軍警備隊のケアウカハ基地の森のなかにあった。このタイプの森林は、降水量の多い低地に広がっていたため、そのほとんどが農業のために伐採されてしまっていた。かろうじて残った森、あるいは再生した森に優占するのは、ハワイ島の外に由来する種類だった。

 ハワイ大学ヒロ校のレベッカ・オステルターグの説明によれば、ハワイ諸島に侵入種がはびこりやすいのは、3000万年にわたって隔離され進化してきたハワイの植物は、競争の厳しい大陸で進化した侵入種に比べて、成長が遅く、栄養の摂取効率も悪いからだという。同様に、ハワイ在来の鳥やその他の動物たちも、移入種に対抗する力はないというのである。鳥マラリアで絶滅した在来の野鳥も多い。最近までハワイにヤブ蚊はいなかったので、ハワイの野鳥たちは、ヤブ蚊の媒介する病気への耐性を進化させなかったのだ。ハワイのラスベリーやバラは棘がない。ハワイ産のハッカ類は、ハッカの香りのする防衛物質を欠いている。防衛対象とすべき、草食性の哺乳類がいなかったからだ。そんなやわな在来種は、本土から人の持ち込むもっと強い種にやられてしまうのである。現在、ハワイ諸島に知られる植物種の半数が、外来種といわれている。多くの低地林において、在来種は、巨木ばかりである。樹冠の下には、外来種の実生が一面に広がって、在来種の巨木が倒壊する日を待っている。そのような場所を、「生ける屍の森」と呼ぶ生態学者もいるのである。

 

目 次

第1章 自然を「もとの姿に戻す」ことは可能か
自然は「遠きにありて思うもの」ではないはずだ
自然を「過去の状態に戻す」ことの矛盾
世界の絶滅首都=ハワイで移入種を除去したら……
ハワイでも問題となる「基準となる過去の自然」
過去を取り戻すための、オーストラリアでの驚くべき苦闘
古い「教義」から自由になりはじめた生態学者たち

第2章 「手つかずの自然」を崇拝する文化の来歴
イエローストーンが「母なる公園」と呼ばれる理由
ウィルダネスの征服の時代――1860年代まで
自然保護運動家ミューアの時代――1860年代以降
「ウィルダネス崇拝」のはじまり――1890年代以降
「ウィルダネス崇拝」の先鋭化と強大な影響力
人間を排除すれば、自然は安定するのか
生態学の理論は現実に合わなかった
自然の変化の激しさは生物も対応できないほど
変化するイエローストーンをどう管理するか

第3章 「原始の森」という幻想
ウィルダネスの聖地・ビアロウィエージャ
実はビアロウィエージャは「手つかず」ではない
ビアロウィエージャには現在も人の手が入り続けている
先住民族が多くの大型動物を絶滅に追い込んだ
先住民族はその後も環境に影響を与え続けた
生態学や自然保護運動はなぜ人間を排除したのか
環境活動家はウィルダネスをどう考えているか
ビアロウィエージャの自然はさらに改善できる?

第4章 再野生化で自然を増やせ
オランダの干拓地で太古の草原を再現する
「更新世再野生化」とは何か
北米の更新世再野生化計画に対する賛否両論
アメリカに大型動物を導入するのは本当に問題か
過去を指向しながら新しい生態系を創出する
再野生化で太古のヨーロッパの姿を明らかにする
「人工的な野生」で自然を増やす

第5章 温暖化による生物の移動を手伝う
温暖化に適応する生物の移動は間に合うか
動植物は実際に極方向や高地へ移動している
生物の移動に手を貸すことを躊躇する研究者たち
タブーに挑み、立ち上った市民ナチュラリスト
人による移転という考えを生態学者が認めはじめた
「管理移転」は既成事実化しつつあり止められない
管理移転の指針作りのための実験は意外に困難
ここでも「手つかずの自然はない」ことが問題に
温暖化に対応した最適の植林パターンを探す実験
林業関係者が戦慄した気候予測地図
営利活動による管理移転計画への賛否両論

第6章 外来種を好きになる
外来種は必ず生態系を崩壊させるか
外来種とそれに対する人間の対応の歴史
外来種駆除の現場では何が行われているか
外来種は生態系の不安定化・多様性低下の原因か
従来の「侵入生物学」に異を唱える生態学者
外来種と交雑する「遺伝子汚染」をどう考えるか
画一的な外来種駆除が無意味なら、何をすべきか
外来種を利用しはじめた自然保護論者たち

第7章 外来種の交じった生態系の利点
外来種でできた生態系を持つ島
外来種が在来種より優れている場合がある
「新しい」生態系は生産性も多様性も高く健全かもしれない
はびこる外来種も時間とともに沈静化する
「新しい」生態系が覆う面積は地球の何割か
有用な「新しい」生態系の外来種を除去すべきか
「新しい」生態系の変化を研究すべきだ

第8章 生態系の回復か、設計か?
「川」は人工物であるという発見
生態系を回復するのでなく目的に合わせ設計する
生態系を「設計」する必要があるのはどんなときか
デザイナー生態系とウィルダネスと多自然ガーデン

第9章 どこでだって自然保護はできる
重金属に汚染された川の改善の未来像
あらゆる方法で自然を増やし改善すべきだ
自然回廊で保全地域同士をつなぎ合わせる
減税措置などで農業者も保全活動に巻き込む
農業と自然保護の最適解を求める試み
工業地域や高速道路にも自然は増やせる
狭い庭やバルコニーの小さな自然も有意義
散水も肥料も少なくてすむ野生の庭・在来種の庭
造園家が温暖化適応策にかんする情報提供者に
近くの自然を発見し、近くに自然を受け入れる

第10章 自然保護はこれから何をめざせばいいか
「昔に戻す」以外の自然保護の目標を議論する
目標1――人間以外の生物の権利を守ろう
目標2――カリスマ的な大型生物を守ろう
目標3――絶滅率を下げよう
目標4――遺伝的な多様性を守ろう
目標5――生物多様性を定義し、守ろう
目標6――生態系サービスを最大化しよう
目標7――精神的、審美的な自然体験を守ろう
多様な目標を土地ごとに設定しコストも考慮しよう

 

★以下のリンクで、本書の「訳者あとがき」をご覧になれます。

honz.jp

★以下の紹介文もごらんください。

soshishablog.hatenablog.com

著者紹介

エマ・マリス

サイエンスライター。自然、人々、食べ物、言語、書籍、映画などについて執筆。数年間記者として勤務していたネイチャー誌のほか、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムス、ワイヤード、グリスト、スレート、オンアースなどの雑誌・新聞に寄稿している。ワシントン州シアトル出身、オレゴン州クラマスフォールズ在住。

訳者紹介

岸由二(きし・ゆうじ)

慶應義塾大学名誉教授。生態学専攻。NPO法人代表として、鶴見川流域や神奈川県三浦市小網代の谷で〈流域思考〉の都市再生・環境保全を推進。著書に『自然へのまなざし』(紀伊國屋書店)『リバーネーム』(リトル・モア)『「奇跡の自然」の守りかた』(ちくまプリマー新書)など。訳書にドーキンス『利己的な遺伝子』(共訳、紀伊國屋書店)ウィルソン『人間の本性について』(ちくま学芸文庫)ソベル『足もとの自然から始めよう』(日経BP)など。国土交通省河川分科会、鶴見川流域水委員会委員。

小宮繁(こみや・しげる)

 慶應義塾大学理工学部講師。慶應義塾大学文学研究科博士課程単位取得退学(英米文学専攻)。専門は20世紀イギリス文学。1989~91年、ケンブリッジ大学訪問講師。2012年3月より、慶應義塾大学日吉キャンパスにおいて、雑木林再生・水循環回復に取り組む非営利団体、日吉丸の会の代表をつとめている。訳書にステージャ『10万年の未来地球史』(岸由二監修、日経BP)。

 

 
「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

 

【近刊予告】『操られる民主主義―デジタル・テクノロジーが社会を破壊する』が9月刊行!

『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーが社会を破壊する』

原題:The People vs Tech――How the Internet is Killing Democracy (and How We Save It)
ジェイミー・バートレット著 秋山勝訳 四六判 並製 288頁(予定)

インターネットは「自由な世界」をもたらす……本当か?
いや、むしろ自由な判断を奪い、怒りを増幅し、社会を分断し、
いままさに「民主主義」社会の根幹を破壊しはじめている!

デジタルテクノロジーの急激な進化が世界を変えつつある。だがそれは好ましい変化ではない。データ分析が人間の自由意思を操作し、選挙の公正性が危うくなり、人びとを感情で結びつけて細分化し孤立させ、社会の経済格差は加速の一途をたどり、一部の超大企業がすべてを独占、テクノロジーが進化すればするほど世界の不均衡は増大していく。いま何が起こっているのか? どうすれば乗り越えられる? データ・テクノロジーの専門家が詳細に分析し処方箋を示す。

 

【内容より】
インターネットは人間の感情を限りなく増幅させる
ネットによって世界は対立する「部族」に分断される
アンケートへの回答がビッグデータに吸い込まれる。
自分以上に自分のこと詳細に知っているものたち
マイクロターゲティングが消費行動を支配する
トランプとプーチンとケンブリッジ・アナリティカ
フェイスブックの投稿が有権者の行動を左右した?
テクノロジーを押さえた超大企業が世界を独占する
AIは新たな雇用を創出し大量の雇用を喪失させる

 

【目次より】(仮)
第1章 新しき監視社会
第2章「部族」化する世界
第3章 ビッグデータと選挙
第4章 加速する断絶社会
第5章 独占される世界
第6章 暗号に守られる世界
エピローグ 民主主義を救う20のアイデア


ジェイミー・バートレット(Jamie Bartlett)
シンクタンク「デモス(Demos)」ソーシャルメディア分析センターのディレクター。ジャーナリスト。オンライン上の社会運動やテクノロジー、ビッグデータの調査手法の研究を専門とする。著書にOrwell versus the Terrorists(2015)、Radicals Chasing Utopia(2017)など。2018年にはBBCでシリーズ「シリコンバレーの秘密」を担当。