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草思社文庫『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』 文庫版のための「長いあとがき」大泉実成

説得 ――エホバの証人と輸血拒否事件

大泉実成 著

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 過日、この文庫版のあとがきを書くために30年以上前に書いた自分の本を読み返してみたのだが、手ひどい羞恥心にさいなまれて、しばしもがき苦しむこととなった。
 若かったから格好をつけていたのだろうが、自分の本音とぜんぜん向き合っていない。だいたい執筆動機ですら本音ではない。なにが「もっとも大きな理由は、私が10歳のとき、少年と同じようにエホバの証人を目指す子供であった、というところにあるのかもしれない」だ。まったく、30年前の自分に向かって、格好をつけるのもいい加減にしろと言いたい。

 本音を言えば、この作品を書くことは、僕にとって哲学的なひとつの「実験」だった。

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 1975年のハルマゲドン預言が外れ、中学生の僕はエホバの証人を辞めた。しかしエホバを離れても『神とは何なのか、だいたいそんなもの、人間を超越したものは存在するのか』『そもそも、真の価値などどいうものは存在するのだろうか』という疑問は僕の中でくすぶり続けた。どう考えても食う当てのない大学の哲学科になんてところに入ってしまったのも、結局はこの問題に自分なりに決着をつけたかったからだった。そしてそれは、思いも寄らぬほどの苦行となった。


 本書では、僕の過去の宗教体験についてはエホバの証人のことしか書かれていない。しかし、戦後の混乱期に生きた祖父や父母から、僕は実にさまざまな宗教を押しつけられていた。
 第二次大戦の敗戦後、日本人の多くは思想的、宗教的混乱を抱え込むことになった。皇国思想という強力な国家神道、いわば「大きな物語」に支えられて進められた戦争で日本が負け、天皇が人間宣言をして、そこに巨大な宗教的空白が生まれたからである。そして、雨後のタケノコのごとく新宗教が現れる。
 僕の母方の一家は、母が5歳のときに満州から引き揚げてきたのだが、そこで祖父が信じたのは「大本教」であった。
 やがて、高度経済成長という新たな「大きな物語」が語られ始めた頃、母は熱心な「創価学会」信者になった(現在は脱会している)。
 引き揚げのとき、息子を死なせてしまい、もう一人の息子を現地の中国人に預けてきた祖母は深いこころの傷を負い、本書にあるとおり、それを癒すための空間を「エホバの証人」に求めた。
 高度経済成長の中、矛盾だらけの会社組織とうまく折り合えなかった父は、社会正義を求めて「マルキシズム」にその解答を求めようとした。
 僕は2歳で大本教の祝詞を唱えさせられ、4歳から当時創価学会の本山であった大石寺に通うようになり、9歳から14歳までをエホバの証人たちとともに過ごした。大学ではマルクスについても学んだ。つまりは、そのそれぞれと付き合ってみたわけだが、こころ動かされる場面はあったものの、そのどれかを「真の価値」として信ずるようにはならなかった。何よりも、そうすれば他のものを否定しなければならなかったからである。
 別の視点から見れば、僕は子どもという立場から、祖父母や親の世代の思想的混乱を自分なりに理解し、統合しようと試みていたわけである。
 では、信じられる「真の価値」とは何なのか。それは僕にとって、あるいは僕と似たような立場にいる人間にとっては、第二次大戦敗戦後の思想的混乱から端を発し、現在も続いている問いであり、祖父母や親の世代からわれわれが引き継いだ課題ともいえる。僕はそんな茫洋とした文脈の中で、哲学科の学生としての日々を過ごしていた。


 さて、話を「哲学的実験」というところまで戻そう。
 大学の哲学科に入ったまさにその年、ピカピカの1年生、僕は哲学科の基礎演習として宮武昭という助教授から「Atheism and the Rejection of God(無神論と神の拒絶)」という、一年が読むにははなはだ難解な本を読まされた。みんなうんざりした顔をしていたが、この本は僕にとって実にありがたい本になった。というのも、タイトルが示すように、この本は神の存在証明について徹底的に論じたものだったからだ。講義に使われたのはその一部だったが、あまりに面白かったので一冊丸ごと翻訳してしまったくらいである。たぶんそんな学生は僕だけだったろう。
 哲学業界では、かの偉大なるカントの業績を例示して、神の存在証明の方法とその失敗について論じることになっている。それが以下の4つである。

 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
 宇宙論的証明:因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。

 いずれも証明ともいえないレベルのもので、徹底的に論破されている。
 エホバの証人は彼らの理論書の中でよく目的論的証明に言及していた。このように美しい地球に、偉大なる設計者が存在しないとは考えられない、とかいうあれである。
 カントはこの証明に対し、痛烈な批判を浴びせている。
「この理性は、自然の所産を人間の芸術ないし技術が作り出すものをもとに類推し(自然物と家屋、船舶、時計などとの類似から)、この類推に基づいて推論しているのである。」(B654)「自然神学的証明が証示するのは、せいぜい世界建築士であって、世界創造者ではありえないだろう。」(B655、ちなみにBというのは業界では大幅に手を加えられた『純粋理性批判』の第二版のこと)
 こういう議論は日本人には一番バカバカしいと思われるであろう。要するに機械とか家とかがあってこれには設計者がいる、と言われれば納得するが、その辺の石ころとかごみくずとかを持ち出して「これには設計者がいる」なんて言われたって納得できるわけがない、ということである。
 キリスト教神学の神の存在聡明はだいたいこの四つに集約できるわけだが、いずれも失敗している。要するに神なんてものの存在は、証明できるようなものではないのである。それは「信じる」しかないものなのだ。
 哲学科で勉強しているうちに、もちろん、特定な宗教の神の「証明」は不可能にしても、むしろ、宗教よりもっと根源的なもの、いわば「プレ宗教」「原宗教」とでも呼ぶべきものがあるのではないか、と考えるようになった。個別の宗教を超えて、どの宗教にも根源的に共通するような、いわゆる普遍宗教のようなものである。そこにこそ「真の価値」と呼ぶべきものはあるのではないか。

 そんなことを考えながら大学で哲学を勉強していたとき、強く魅かれた思想家が3人いた。ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、そして鈴木大拙である。
 ハイデガーにおいて、それは「存在」というものであったろう。彼は「ある」とはどういうことかを、「現存在(人間)」の理解を手がかりに解明しようとしたのである。現象学という手法を用いて、人間という「現存在」の「存在了解」を手がかりに「存在」というものに迫ろうとした。特定の領域や対象ではなく、それらすべてを成り立たせている「ある」ということを問おうというのだから、これほど根源的な問いかけはないだろう。後に、いわゆる「ケーレ(転回)」というものが起きて、ハイデガーは存在了解という概念を捨てる。「存在」は人間の能動的な行為によって規定されるようなものではなく、むしろ「存在」の方が人間を規定していると考えたからである。
 「すべてに先立ってまず〈ある〉のは存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこのかかわりを作り出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである」。(『ヒューマニズムについて』)
 相変わらず何を言ってるんだかわかったようなわからないような文章だが、「存在」は人間のもとで起こる出来事なのだけれど、そのことに人間の力は及ばない、とハイデガーが考えているらしいことはわかる。

 意外なことに、このハイデガーのいわば神秘主義的ともいえる思想に、強い共感を示したのがウィトゲンシュタインだった。何が意外と言って、ウィトゲンシュタインはまるで正反対の立場とも思える論理実証主義や科学哲学の祖のように思われてきたからである。二人は、20世紀の哲学界を二分する天才だった。
「神秘的なのは、世界が『いかに』あるかではなく、世界がある『ということ』である」(『論理哲学論考』)
「私はハイデガーが存在と不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には、言語の限界に向かって突進しようという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚きを考えてみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、われわれは言語の限界に向かって突進するのだ」(1929年末、「シュリック家での談話、ハイデガーについて」)
 この発言にも現れているように、ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」をはっきりと峻別し、語りえぬものについてはアプリオリに無意味であるから「沈黙しなければならない」と主張していた。
 では、ウィトゲンシュタインが「語りえぬもの」としていたのは何か。彼によればそれは「倫理的なるもの」であり「神秘的なるもの」であった。それは世界を超えており、いわば超越的であるため、言語では表現し得ないのである。
「命題は、より高きものを表現し得ない」(『論理哲学論考』)。
 では、倫理や神秘は存在しないのか。
 ここまでの発言を見ても、彼がそう思っていないのは明らかである。彼は、それを「語る(sagen)」ことはできないとしているが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできると考えていた。つまり、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だと信じていたのである。

 鈴木大拙に対する関心は、上の二人とは事情が異なっている。僕の家が曹洞宗の檀家だったもので、葬儀や法事の度にその禅寺に行っていた。若い住職がなかなかユニークな人で、説法もあんまり抹香くさくなく、また自ら筆を持って天井に仏画を描いたり、寺でライブを開いたりしていた。そんなわけで禅に興味を持ち、鈴木大拙の本を読み始めたらめちゃくちゃに面白かった。あるいは、西洋哲学を勉強する日本人の学生だった自分が、自らに関わる日本的なルーツを持ちたいという一種の補償的な心理が働いていたのかもしれない。
 禅はもちろん体を使った修行であるから、大学で教わっていた思索を通しての哲学とはまったく別なものである。言語を立てず(不立文字)ひたすら座禅すること(只管打座)によって、直覚的に「悟り」を目指していく。
 以上の理由から、僕は鈴木大拙の著作にハイデガーやウィトゲンシュタインと共通するものを感じていた。碩学・井筒俊彦が西洋哲学の「存在」と禅によって到達する「絶対無」の共通性について論じているのを知ったのは、ずっと後のことだった。やはりこれも後年のこととなるが、僕がオウム取材にはまって、2年近く彼らの中に入って体験修行をしたのもこの理由による。

 そんなわけで、この3人のうちの誰かを本格的に研究しようとした。当時僕の指導教授は木田元先生というハイデガー研究の日本での第一人者だったから、まずはハイデガーを研究するのが自然な道であったと思う。しかし僕はこのハイデガーというおっさんがどうしても好きになれなかった。偉そうに自分だけが何でも知ってますみたいな面をして、難解な専門用語を勝手に作ってはこねくり回し、挙句の果てには長い沈黙に入ってしまう。その思想の重大性はわかるのだが、いったい何様のつもりなんだろうと思っていた。
 では鈴木大拙はどうかというと、彼を本格的にやるなら参禅し、長い修行を経なければならない。ところが若い人間はとかくせっかちに結果を求める。とてもそんなまどろっこしい修行をやる気にはならない。
 この点で、一番明快でわかりやすく、歯切れがよかったのがウィトゲンシュタインだった。ラテン語だのギリシャ語だのもやらずにすむし(ハイデガーをやるならこれが必須になる)、英語の研究文献が多いのも魅力的だった。そこで僕は、卒論も修論もウィトゲンシュタインで書くことにした。

「ウィトゲンシュタイン―――『語りうるもの』と『語りえず示されるもの』」という僕の卒業論文は、ウィトゲンシュタインの「語る(sagen)」と「示す(zeigen)」という言葉の用法を徹底的に追ったものだった。その結果わかったのは、上述のように、ウィトゲンシュタインが、倫理や神秘といったものは、それを「語る(sagen)」ことはできないが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできる、と考えていたということだった。そこから彼は、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だという結論に達したのである。
 この卒論を書きながら僕が考えていたのは、ひょっとしてノンフィクションを書くという作業は、「およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示す」という作業と言えるのではないか、ということだった。ノンフィクションが語るのは「事実」つまりウィトゲンシュタイン流に言えば「語りうるもの」であって「倫理」や「神秘」ではない。しかしそれを明確に書ききることで「語りえぬものを示す」ことができるのではないか。つまり、ノンフィクションを書くという作業によって、僕の求めている「真の価値」を示すことができるのではないか、と考えたのである。
 つまり「ノンフィクションを書く」という作業は、僕にとっては、こうした仮説に基づいた「哲学的実験」だったのである。
 この卒業論文を提出した後、僕は大学院入試にめでたく(?)合格し、修士課程に進むことになった。そして、本書の第1章にあるバイク事故を起こしたのは、その直後の春休みのことだったのである。

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 僕のこのささやかな実験は、案に反して社会的に高い評価をいただくことになり、あろうことか講談社ノンフィクション賞までもらってしまった。
 だが、僕にとってこの実験は「失敗」だった。
 自分にとってはベストを尽くして語り得ることを語り尽くしたはずなのに、「倫理」や「神秘的なもの」、そして「真の価値」というべきものは「示され」なかったからである。少なくても僕にとってはそうだった。そして、どうもこの方法ではだめらしい、と感じるようになっていた。
 以後、僕の関心は、もっとも身近な異界である「夢」に向かうこととなる。


 このあと、僕は結婚し、息子が生まれ、つまりは当たり前の日常を積み重ねることになる。残念ながら息子は昨年、まだ大学に在学中の、21歳の若さで死んでしまったが、こうした日常、特に子供を授かり、彼が育っていくその日常の中に、僕の求めていたものは当たり前のように存在した。
 つまりは、哲学的実験なんぞやる必要はなかったのである。普通に生きていればそれでよかったのだ。そのようなわけで、この作品は僕の青春期の、ひとつの試行錯誤の産物であったといえる。
 ところが、ある大学院生の、その試行錯誤の産物が、後の社会にさまざまな影響を与えていくのだから人生とは不思議なものである。
 まず、この本はエホバの証人の輸血拒否問題が起き(これがまたしょっちゅう起きた)、それが論じられる際の基本的な文献として認知されるようになった。
 本書でも述べたように、輸血拒否問題については信教の自由と生命の尊重の対立という大きな問題の対立が根底に横たわっており、さたにはインフォームドコンセントによる患者の自己決定権、そして治療に対する医師の裁量権、さらには患者が未成年である場合親権がどの程度まで及ぶのかなど、問題が複雑なだけにさまざまな議論が繰り返されることになった。ウィキペディアがまとめているだけでも次のごときである。

輸血拒否には、児童・高齢者・障害者の人権を保護するための「法的観点」、信教の自由、思想信条の自由などの「宗教的・思想的観点」などの面から議論や各立場からの主張がある。

 輸血拒否者が法律上の成人であり、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がある場合は、憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では本人の自己決定権が尊重されるので、輸血を拒否することも、その結果として死に至ることも、法律上の問題にはならない。

 国連総会では児童の権利に関する条約、障害者の権利に関する条約が採択され発効している。日本の国会では児童虐待の防止等に関する法律、高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律、障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が制定されている。それらの条約・法律では、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、ネグレクトの5種類の形態を暴力・虐待と定めて違法化し、刑罰を定めている。本人の意思に基づかない輸血拒否とその結果として患者が死に至ることは、身体的暴力またはネグレクトに該当するか、または刑法217条〜219条の保護責任者遺棄致死傷に該当する。患者が法律上の未成年者である場合、または患者が法律上の成人であっても精神の病気や障害が原因で、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がない場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族が患者本人の自己決定権を代行して意思表示することになるが、親・子・配偶者による代理権の行使により、救命・回復が可能な患者を輸血拒否で死に至らせることが、児童・高齢者・障害者の権利保護の観点において許容されるのかが論争になっている。
 1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕解放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、到着時に直ちに輸血を開始すれば救命可能な状態であったが、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否したので医師は輸血をできずに、結果として患者が死に至った事例は、当時の法律では不問にされたが、上記の条約や法律の制定により、条約の発効後、法律の施行後は、救命や回復が可能な患者を、患者の意思決定の代理人である家族がその宗教的・思想的な理由で輸血を拒否して死に至らせることは、上記の条約や法律に反する行為として処罰される可能性がある(法的な意味としては、親権者・養育権者・介護者・監護者の全面的な保護が必要である乳幼児や重度障害者を長期間放置して餓死させたなどの行為と同等になる)。

 以上のように、作者の当時の認識を超えてこんがらがった事件であったため、医療側、つまり各病院は各々のガイドラインを作って対応するようになった。そして2008年、事件からなんと23年後に、ようやく統括的なガイドラインの素案ができる。


 未成年者の治療に対する家族からの輸血拒否についてどのように対応するかということについて、2008年、医療関連学会五つからなる合同委員会(日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会、座長大戸斉・福島県立医科大学教授)は以下の素案をまとめた。

・義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思に関わらず、また信者である親が拒否しても「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は親権の乱用に当たる」として輸血を行う。

・15歳から17歳の患者については、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、本人が希望して親が拒否したり逆に信者である本人が拒み親が希望したりした場合などは輸血を行う。

 このガイドラインが本当に適切なものなのかは、正直なところ僕にもよくわからない。ただし、この素案に従い、2008年の夏に、一歳の赤ちゃんへの輸血を両親が拒否したことに対し、病院と児童相談所、そして家庭裁判所が連携して両親の親権を停止させ、赤ちゃんの命を救けたことがあるという。このことを知って、僕は自分のバカで若かった時代の試行錯誤が決して無駄ではなかったのだと改めて思った。
『説得』を書いたころ、僕は独身で子どもはいなかった。しかし、子どもを授かり、ともに生き、そしてその子どもをなくした人間としてつくづく思う。
 子どもの命は、いや、すべての人の命は、たかがこの数千年の間に人間がこねくり回して作り上げた「宗教」をはるかに超えているのだ。
 ありきたりな結論で大変申し訳ないのだが、僕の想いはこの作品を書いた大学院生のころと変わっていない。

 
大の心臓の鼓動は、止まるべきではなかったのだ。たとえ何があったとしても。

※本書「文庫版あとがき」より抜粋

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