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草思社のblog

ノンフィクション書籍を中心とする出版社・草思社のブログ。

「釈明史観」を糺す歴史修正主義  渡辺惣樹――文庫版『ルーズベルトの開戦責任』訳者まえがき

文庫『ルーズベルトの開戦責任』

ハミルトン・フィッシュ 著 渡辺惣樹 訳

「釈明史観」を糺す歴史修正主義

 『ルーズベルトの開戦責任』が日本で上梓されたのは二〇一四年のことである。読者の高い評価を受けて版を重ねてきたが、この度文庫化されることになった。訳者としては望外の喜びである。最後までフランクリン・ルーズベルト(FDR)の外交を批判して世を去ったハミルトン・フィッシュも泉下で笑みをもらしていることであろう。

 

 私は歴史の真実は細部に宿っていると信じている。しかし、歴史的事象の全てを書き尽くすことはできない。何が重要な細部なのかを見極める力が必要となる。それに失敗した歴史家の書は、内容が浅薄なだけではなく間違った歴史解釈を生む。

 

 アメリカは、先の大戦の参戦前の段階では、強力な(潜在的)軍事力を背景にヨーロッパの紛争に対しては仲裁に入れる立場であった。それができる機会は多々あった。それにもかかわらず、FDRは対立の火に油を注ぐ外交を繰り広げた。また、当時の米国の多くの政治家が、二人の怪物(スターリンとヒトラー)は早晩壮絶な戦いを始めると見ていた。このことを示す多くの事件や事象が、ハミルトン・フィッシュが本書で追究する細部である。

 

 この重要な歴史の細部を捨象してあの戦争を描写しているのが、現在の「正統」と見なされている歴史書なのである(意図的であるか否かは不明だが)。上記二点を見逃して先の大戦を描こうとすれば、日独を中心とした枢軸国は第一次大戦後のベルサイユ体制を破壊し、世界覇権を求める〝極悪〟の全体主義国家であった、という結論になる。従ってその野望を叩きのめす外交を進めたFDRやチャーチルは〝絶対善〟であり、ヒトラーや東條英機は〝極悪人〟となる。しかし、歴史の細部に目をやれば、そんな単純な理解はとてもできない。こうした「正統」な歴史観に立つ歴史家は、自身の解釈に不都合な事件や関係者の発言に触れられると釈明に終始せざるを得なくなる。ハーバート・フーバー元大統領は、こうした歴史家を「釈明史観主義者」(アポロジスト)として軽蔑している。

 

 フーバー元大統領も歴史の細部を疎かにしない歴史家であった。彼はその書『裏切られた自由』の中で、上記に挙げた二点に加えて、アメリカ参戦以降に繰り返された連合国首脳の度重なる会談を詳細に検討した。その上でフィッシュと同様の結論を導き出した。釈明史観では先の大戦には二つの「大義」すなわちポーランドの独立保障(英仏の対独宣戦布告理由)と、中国の独立回復(ハル・ノートによる日本の中国からの全面撤退要求)があったことになっているが、フーバーはこれが終戦期および戦後にことごとく蔑ろにされていく過程を詳述している。(『裏切られた自由』は草思社より邦訳出版される。翻訳は筆者)。


 フーバーは『裏切られた自由』刊行を前にして世を去った(一九六四年)。およそ半世紀後の二〇一一年にこの未刊の書を世に送り出した歴史家のジョージ・ナッシュ(編者)は、同書を、「歴史修正主義史観の集大成である」と断言している。フーバーもハミルトン・フィッシュも、歴史修正主義に立つ。元大統領と、FDRの対日宣戦布告を容認した重鎮政治家(共和党)の二人が戦後になって歴史修正主義に立ち、FDRとチャーチルを批判していることは注目に値する。


 歴史修正主義史観の本質は、日本やドイツなどの枢軸国の擁護にあるのではない。FDRやチャーチルの外交を冷徹に分析し、そこに間違いはなかったかと疑うことにある。ありていに言えば、もっと違った外交ができなかったのか、そうすることであの戦争を避けることができたのではないか、それができていれば戦後の冷戦はなかったのではないか、と考えることなのである。

 

 『ルーズベルトの開戦責任』は、あの大戦に深くかかわった当事者の記録であり告白でもある。読者は、彼の語る歴史の細部に触れることで、巷に溢れる釈明史観に基づく歴史書を批判的にみる眼を養うことができるに違いない。そう確信している。(了)

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