『今日からヒラ社員のオレが会社を動かします。:伝説の中国古典「鬼谷子」に学ぶ最強の人心操縦術』、もうお読みになられましたか?
本書は、実戦的な人心掌握と「人を動かす」技術を説いた中国の古典『鬼谷子』の内容を小説形式で紹介したものです。
今回から、この『今日ヒラ』刊行にちなみまして、少しでも『鬼谷子』を身近に感じていただくために週一回のペースで全四回、『鬼谷子』の内容をご紹介できればと思います。
◆日本で顧みられなかった古典『鬼谷子』
とは言っても、「『鬼谷子』なんて知らない」という方がほとんどでしょう。
それもそのはず。日本では、江戸時代中期に皆川淇園(きえん)という儒学者が校訂を施して紹介して以来、ほとんど問題にされてこなかった中国古典なのです。
その当たりの事情について、九州大学の『哲学年報』に収められた論文「鬼谷子について」(佐藤仁・1955年)には、次のように書かれています。
「我邦唯一のものである皆川氏校本なるものは誤刻が非常に多く、ほとんど使用に耐えぬものであることが解った。これも一つにはこれまで我国人士の間で鬼谷子がほとんど問題にされなかったことを示すものであろうか」(文中の旧字体は新字体に修正)
つまり、『鬼谷子』とは、江戸に作られた国内唯一の皆川氏の校本も間違いだらけで、それが誰からも顧みられず戦後まで放置されてきた。そんな不遇の古典だった、とこの論文を書いた佐藤氏は嘆いているわけです。
ではなぜこんな扱いをされてきたのか?
◆『鬼谷子』は江戸の人々にとって不穏な古典だった
その理由を詳しく紹介するだけのスペースはありませんが、考えられる最大の理由を一つだけ。
おそらく、江戸のインテリからみると、あまりに書かれていることが、個人主義的で不穏な内容だったから、ではないでしょうか?
『孫子』なら公のための軍事学というタテマエもたちますが、『鬼谷子』は個人が言葉で周囲を動かし、場合によっては国家すら転覆させるような技術。それも、身も蓋もないほど実戦的なものが記されています。
国の安定のための学問である儒教(『論語』とかのアレですね)を信奉する大多数の江戸のインテリにとって、『鬼谷子』の内容は世を乱すようなものに思えたことは間違いないでしょう。
◆『鬼谷子』が説くのは、安全圏から人を動かす技術
では、実際、そんな不穏な古典『鬼谷子』にはどんなことが書いてあるのか?
結論から言えば、『鬼谷子』に書かれているのは、自分を安全圏に置きながら、人を動かす術です。そして、そのための基本は、次の三つに集約されます。つまり、
1「周囲に知られず、周囲を知り、人を動かす」
2「現実を見るときには、必ず自分から見えない要素を想定する」
3「起こった出来事を嘆かず、柔軟に対処し利用する」
『鬼谷子』には「象比(しょうひ)の術」「忤合(ごごう)の術」「飛カンの術」「揣摩(しま)の術」など様々な人を動かすための術が記されていますが、すべてはこの三つのためのものだと言っても過言ではないでしょう。
では、具体的にはそれらの術はどういうものなのか? どのような手順で人を動かすのか?
それについては、次回以降から見ていくこととしましょう。
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