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草思社文庫『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』 文庫版のための「長いあとがき」大泉実成

説得 ――エホバの証人と輸血拒否事件

大泉実成 著

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 過日、この文庫版のあとがきを書くために30年以上前に書いた自分の本を読み返してみたのだが、手ひどい羞恥心にさいなまれて、しばしもがき苦しむこととなった。
 若かったから格好をつけていたのだろうが、自分の本音とぜんぜん向き合っていない。だいたい執筆動機ですら本音ではない。なにが「もっとも大きな理由は、私が10歳のとき、少年と同じようにエホバの証人を目指す子供であった、というところにあるのかもしれない」だ。まったく、30年前の自分に向かって、格好をつけるのもいい加減にしろと言いたい。

 本音を言えば、この作品を書くことは、僕にとって哲学的なひとつの「実験」だった。

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 1975年のハルマゲドン預言が外れ、中学生の僕はエホバの証人を辞めた。しかしエホバを離れても『神とは何なのか、だいたいそんなもの、人間を超越したものは存在するのか』『そもそも、真の価値などどいうものは存在するのだろうか』という疑問は僕の中でくすぶり続けた。どう考えても食う当てのない大学の哲学科になんてところに入ってしまったのも、結局はこの問題に自分なりに決着をつけたかったからだった。そしてそれは、思いも寄らぬほどの苦行となった。


 本書では、僕の過去の宗教体験についてはエホバの証人のことしか書かれていない。しかし、戦後の混乱期に生きた祖父や父母から、僕は実にさまざまな宗教を押しつけられていた。
 第二次大戦の敗戦後、日本人の多くは思想的、宗教的混乱を抱え込むことになった。皇国思想という強力な国家神道、いわば「大きな物語」に支えられて進められた戦争で日本が負け、天皇が人間宣言をして、そこに巨大な宗教的空白が生まれたからである。そして、雨後のタケノコのごとく新宗教が現れる。
 僕の母方の一家は、母が5歳のときに満州から引き揚げてきたのだが、そこで祖父が信じたのは「大本教」であった。
 やがて、高度経済成長という新たな「大きな物語」が語られ始めた頃、母は熱心な「創価学会」信者になった(現在は脱会している)。
 引き揚げのとき、息子を死なせてしまい、もう一人の息子を現地の中国人に預けてきた祖母は深いこころの傷を負い、本書にあるとおり、それを癒すための空間を「エホバの証人」に求めた。
 高度経済成長の中、矛盾だらけの会社組織とうまく折り合えなかった父は、社会正義を求めて「マルキシズム」にその解答を求めようとした。
 僕は2歳で大本教の祝詞を唱えさせられ、4歳から当時創価学会の本山であった大石寺に通うようになり、9歳から14歳までをエホバの証人たちとともに過ごした。大学ではマルクスについても学んだ。つまりは、そのそれぞれと付き合ってみたわけだが、こころ動かされる場面はあったものの、そのどれかを「真の価値」として信ずるようにはならなかった。何よりも、そうすれば他のものを否定しなければならなかったからである。
 別の視点から見れば、僕は子どもという立場から、祖父母や親の世代の思想的混乱を自分なりに理解し、統合しようと試みていたわけである。
 では、信じられる「真の価値」とは何なのか。それは僕にとって、あるいは僕と似たような立場にいる人間にとっては、第二次大戦敗戦後の思想的混乱から端を発し、現在も続いている問いであり、祖父母や親の世代からわれわれが引き継いだ課題ともいえる。僕はそんな茫洋とした文脈の中で、哲学科の学生としての日々を過ごしていた。


 さて、話を「哲学的実験」というところまで戻そう。
 大学の哲学科に入ったまさにその年、ピカピカの1年生、僕は哲学科の基礎演習として宮武昭という助教授から「Atheism and the Rejection of God(無神論と神の拒絶)」という、一年が読むにははなはだ難解な本を読まされた。みんなうんざりした顔をしていたが、この本は僕にとって実にありがたい本になった。というのも、タイトルが示すように、この本は神の存在証明について徹底的に論じたものだったからだ。講義に使われたのはその一部だったが、あまりに面白かったので一冊丸ごと翻訳してしまったくらいである。たぶんそんな学生は僕だけだったろう。
 哲学業界では、かの偉大なるカントの業績を例示して、神の存在証明の方法とその失敗について論じることになっている。それが以下の4つである。

 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
 宇宙論的証明:因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。

 いずれも証明ともいえないレベルのもので、徹底的に論破されている。
 エホバの証人は彼らの理論書の中でよく目的論的証明に言及していた。このように美しい地球に、偉大なる設計者が存在しないとは考えられない、とかいうあれである。
 カントはこの証明に対し、痛烈な批判を浴びせている。
「この理性は、自然の所産を人間の芸術ないし技術が作り出すものをもとに類推し(自然物と家屋、船舶、時計などとの類似から)、この類推に基づいて推論しているのである。」(B654)「自然神学的証明が証示するのは、せいぜい世界建築士であって、世界創造者ではありえないだろう。」(B655、ちなみにBというのは業界では大幅に手を加えられた『純粋理性批判』の第二版のこと)
 こういう議論は日本人には一番バカバカしいと思われるであろう。要するに機械とか家とかがあってこれには設計者がいる、と言われれば納得するが、その辺の石ころとかごみくずとかを持ち出して「これには設計者がいる」なんて言われたって納得できるわけがない、ということである。
 キリスト教神学の神の存在聡明はだいたいこの四つに集約できるわけだが、いずれも失敗している。要するに神なんてものの存在は、証明できるようなものではないのである。それは「信じる」しかないものなのだ。
 哲学科で勉強しているうちに、もちろん、特定な宗教の神の「証明」は不可能にしても、むしろ、宗教よりもっと根源的なもの、いわば「プレ宗教」「原宗教」とでも呼ぶべきものがあるのではないか、と考えるようになった。個別の宗教を超えて、どの宗教にも根源的に共通するような、いわゆる普遍宗教のようなものである。そこにこそ「真の価値」と呼ぶべきものはあるのではないか。

 そんなことを考えながら大学で哲学を勉強していたとき、強く魅かれた思想家が3人いた。ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、そして鈴木大拙である。
 ハイデガーにおいて、それは「存在」というものであったろう。彼は「ある」とはどういうことかを、「現存在(人間)」の理解を手がかりに解明しようとしたのである。現象学という手法を用いて、人間という「現存在」の「存在了解」を手がかりに「存在」というものに迫ろうとした。特定の領域や対象ではなく、それらすべてを成り立たせている「ある」ということを問おうというのだから、これほど根源的な問いかけはないだろう。後に、いわゆる「ケーレ(転回)」というものが起きて、ハイデガーは存在了解という概念を捨てる。「存在」は人間の能動的な行為によって規定されるようなものではなく、むしろ「存在」の方が人間を規定していると考えたからである。
 「すべてに先立ってまず〈ある〉のは存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこのかかわりを作り出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである」。(『ヒューマニズムについて』)
 相変わらず何を言ってるんだかわかったようなわからないような文章だが、「存在」は人間のもとで起こる出来事なのだけれど、そのことに人間の力は及ばない、とハイデガーが考えているらしいことはわかる。

 意外なことに、このハイデガーのいわば神秘主義的ともいえる思想に、強い共感を示したのがウィトゲンシュタインだった。何が意外と言って、ウィトゲンシュタインはまるで正反対の立場とも思える論理実証主義や科学哲学の祖のように思われてきたからである。二人は、20世紀の哲学界を二分する天才だった。
「神秘的なのは、世界が『いかに』あるかではなく、世界がある『ということ』である」(『論理哲学論考』)
「私はハイデガーが存在と不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には、言語の限界に向かって突進しようという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚きを考えてみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、われわれは言語の限界に向かって突進するのだ」(1929年末、「シュリック家での談話、ハイデガーについて」)
 この発言にも現れているように、ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」をはっきりと峻別し、語りえぬものについてはアプリオリに無意味であるから「沈黙しなければならない」と主張していた。
 では、ウィトゲンシュタインが「語りえぬもの」としていたのは何か。彼によればそれは「倫理的なるもの」であり「神秘的なるもの」であった。それは世界を超えており、いわば超越的であるため、言語では表現し得ないのである。
「命題は、より高きものを表現し得ない」(『論理哲学論考』)。
 では、倫理や神秘は存在しないのか。
 ここまでの発言を見ても、彼がそう思っていないのは明らかである。彼は、それを「語る(sagen)」ことはできないとしているが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできると考えていた。つまり、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だと信じていたのである。

 鈴木大拙に対する関心は、上の二人とは事情が異なっている。僕の家が曹洞宗の檀家だったもので、葬儀や法事の度にその禅寺に行っていた。若い住職がなかなかユニークな人で、説法もあんまり抹香くさくなく、また自ら筆を持って天井に仏画を描いたり、寺でライブを開いたりしていた。そんなわけで禅に興味を持ち、鈴木大拙の本を読み始めたらめちゃくちゃに面白かった。あるいは、西洋哲学を勉強する日本人の学生だった自分が、自らに関わる日本的なルーツを持ちたいという一種の補償的な心理が働いていたのかもしれない。
 禅はもちろん体を使った修行であるから、大学で教わっていた思索を通しての哲学とはまったく別なものである。言語を立てず(不立文字)ひたすら座禅すること(只管打座)によって、直覚的に「悟り」を目指していく。
 以上の理由から、僕は鈴木大拙の著作にハイデガーやウィトゲンシュタインと共通するものを感じていた。碩学・井筒俊彦が西洋哲学の「存在」と禅によって到達する「絶対無」の共通性について論じているのを知ったのは、ずっと後のことだった。やはりこれも後年のこととなるが、僕がオウム取材にはまって、2年近く彼らの中に入って体験修行をしたのもこの理由による。

 そんなわけで、この3人のうちの誰かを本格的に研究しようとした。当時僕の指導教授は木田元先生というハイデガー研究の日本での第一人者だったから、まずはハイデガーを研究するのが自然な道であったと思う。しかし僕はこのハイデガーというおっさんがどうしても好きになれなかった。偉そうに自分だけが何でも知ってますみたいな面をして、難解な専門用語を勝手に作ってはこねくり回し、挙句の果てには長い沈黙に入ってしまう。その思想の重大性はわかるのだが、いったい何様のつもりなんだろうと思っていた。
 では鈴木大拙はどうかというと、彼を本格的にやるなら参禅し、長い修行を経なければならない。ところが若い人間はとかくせっかちに結果を求める。とてもそんなまどろっこしい修行をやる気にはならない。
 この点で、一番明快でわかりやすく、歯切れがよかったのがウィトゲンシュタインだった。ラテン語だのギリシャ語だのもやらずにすむし(ハイデガーをやるならこれが必須になる)、英語の研究文献が多いのも魅力的だった。そこで僕は、卒論も修論もウィトゲンシュタインで書くことにした。

「ウィトゲンシュタイン―――『語りうるもの』と『語りえず示されるもの』」という僕の卒業論文は、ウィトゲンシュタインの「語る(sagen)」と「示す(zeigen)」という言葉の用法を徹底的に追ったものだった。その結果わかったのは、上述のように、ウィトゲンシュタインが、倫理や神秘といったものは、それを「語る(sagen)」ことはできないが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできる、と考えていたということだった。そこから彼は、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だという結論に達したのである。
 この卒論を書きながら僕が考えていたのは、ひょっとしてノンフィクションを書くという作業は、「およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示す」という作業と言えるのではないか、ということだった。ノンフィクションが語るのは「事実」つまりウィトゲンシュタイン流に言えば「語りうるもの」であって「倫理」や「神秘」ではない。しかしそれを明確に書ききることで「語りえぬものを示す」ことができるのではないか。つまり、ノンフィクションを書くという作業によって、僕の求めている「真の価値」を示すことができるのではないか、と考えたのである。
 つまり「ノンフィクションを書く」という作業は、僕にとっては、こうした仮説に基づいた「哲学的実験」だったのである。
 この卒業論文を提出した後、僕は大学院入試にめでたく(?)合格し、修士課程に進むことになった。そして、本書の第1章にあるバイク事故を起こしたのは、その直後の春休みのことだったのである。

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 僕のこのささやかな実験は、案に反して社会的に高い評価をいただくことになり、あろうことか講談社ノンフィクション賞までもらってしまった。
 だが、僕にとってこの実験は「失敗」だった。
 自分にとってはベストを尽くして語り得ることを語り尽くしたはずなのに、「倫理」や「神秘的なもの」、そして「真の価値」というべきものは「示され」なかったからである。少なくても僕にとってはそうだった。そして、どうもこの方法ではだめらしい、と感じるようになっていた。
 以後、僕の関心は、もっとも身近な異界である「夢」に向かうこととなる。


 このあと、僕は結婚し、息子が生まれ、つまりは当たり前の日常を積み重ねることになる。残念ながら息子は昨年、まだ大学に在学中の、21歳の若さで死んでしまったが、こうした日常、特に子供を授かり、彼が育っていくその日常の中に、僕の求めていたものは当たり前のように存在した。
 つまりは、哲学的実験なんぞやる必要はなかったのである。普通に生きていればそれでよかったのだ。そのようなわけで、この作品は僕の青春期の、ひとつの試行錯誤の産物であったといえる。
 ところが、ある大学院生の、その試行錯誤の産物が、後の社会にさまざまな影響を与えていくのだから人生とは不思議なものである。
 まず、この本はエホバの証人の輸血拒否問題が起き(これがまたしょっちゅう起きた)、それが論じられる際の基本的な文献として認知されるようになった。
 本書でも述べたように、輸血拒否問題については信教の自由と生命の尊重の対立という大きな問題の対立が根底に横たわっており、さたにはインフォームドコンセントによる患者の自己決定権、そして治療に対する医師の裁量権、さらには患者が未成年である場合親権がどの程度まで及ぶのかなど、問題が複雑なだけにさまざまな議論が繰り返されることになった。ウィキペディアがまとめているだけでも次のごときである。

輸血拒否には、児童・高齢者・障害者の人権を保護するための「法的観点」、信教の自由、思想信条の自由などの「宗教的・思想的観点」などの面から議論や各立場からの主張がある。

 輸血拒否者が法律上の成人であり、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がある場合は、憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では本人の自己決定権が尊重されるので、輸血を拒否することも、その結果として死に至ることも、法律上の問題にはならない。

 国連総会では児童の権利に関する条約、障害者の権利に関する条約が採択され発効している。日本の国会では児童虐待の防止等に関する法律、高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律、障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が制定されている。それらの条約・法律では、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、ネグレクトの5種類の形態を暴力・虐待と定めて違法化し、刑罰を定めている。本人の意思に基づかない輸血拒否とその結果として患者が死に至ることは、身体的暴力またはネグレクトに該当するか、または刑法217条〜219条の保護責任者遺棄致死傷に該当する。患者が法律上の未成年者である場合、または患者が法律上の成人であっても精神の病気や障害が原因で、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がない場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族が患者本人の自己決定権を代行して意思表示することになるが、親・子・配偶者による代理権の行使により、救命・回復が可能な患者を輸血拒否で死に至らせることが、児童・高齢者・障害者の権利保護の観点において許容されるのかが論争になっている。
 1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕解放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、到着時に直ちに輸血を開始すれば救命可能な状態であったが、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否したので医師は輸血をできずに、結果として患者が死に至った事例は、当時の法律では不問にされたが、上記の条約や法律の制定により、条約の発効後、法律の施行後は、救命や回復が可能な患者を、患者の意思決定の代理人である家族がその宗教的・思想的な理由で輸血を拒否して死に至らせることは、上記の条約や法律に反する行為として処罰される可能性がある(法的な意味としては、親権者・養育権者・介護者・監護者の全面的な保護が必要である乳幼児や重度障害者を長期間放置して餓死させたなどの行為と同等になる)。

 以上のように、作者の当時の認識を超えてこんがらがった事件であったため、医療側、つまり各病院は各々のガイドラインを作って対応するようになった。そして2008年、事件からなんと23年後に、ようやく統括的なガイドラインの素案ができる。


 未成年者の治療に対する家族からの輸血拒否についてどのように対応するかということについて、2008年、医療関連学会五つからなる合同委員会(日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会、座長大戸斉・福島県立医科大学教授)は以下の素案をまとめた。

・義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思に関わらず、また信者である親が拒否しても「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は親権の乱用に当たる」として輸血を行う。

・15歳から17歳の患者については、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、本人が希望して親が拒否したり逆に信者である本人が拒み親が希望したりした場合などは輸血を行う。

 このガイドラインが本当に適切なものなのかは、正直なところ僕にもよくわからない。ただし、この素案に従い、2008年の夏に、一歳の赤ちゃんへの輸血を両親が拒否したことに対し、病院と児童相談所、そして家庭裁判所が連携して両親の親権を停止させ、赤ちゃんの命を救けたことがあるという。このことを知って、僕は自分のバカで若かった時代の試行錯誤が決して無駄ではなかったのだと改めて思った。
『説得』を書いたころ、僕は独身で子どもはいなかった。しかし、子どもを授かり、ともに生き、そしてその子どもをなくした人間としてつくづく思う。
 子どもの命は、いや、すべての人の命は、たかがこの数千年の間に人間がこねくり回して作り上げた「宗教」をはるかに超えているのだ。
 ありきたりな結論で大変申し訳ないのだが、僕の想いはこの作品を書いた大学院生のころと変わっていない。

 
大の心臓の鼓動は、止まるべきではなかったのだ。たとえ何があったとしても。

※本書「文庫版あとがき」より抜粋

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文庫 説得 エホバの証人と輸血拒否事件 (草思社文庫) : 大泉 実成 : 本 : Amazon

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「べらんめい」は関西からやってきた  『江戸前魚食大全』(冨岡一成著)より

 江戸っ子の特徴に「べらんめい」言葉というものがございます。これは「べらぼう-め」の訛ったものですが、江戸っ子がさかんに振り回した「べらぼう」とはどんなものだったのでしょうか。実はこれ、寛文年間に大坂道頓堀の見世物に「べら坊」という猿そっくりの異形の者がかけられて大当たりしたことから、「人とは見えぬ者」を「べらぼう」と言ったのが語源のようです。
 なんとも江戸っ子らしい言い回しが実は関西からやってきたのは不思議な感じがいたしますが、実は江戸前文化の多くが当時先進的であった関西から移入されたのでございます。たとえば食であれば、鰻料理や天ぷらは江戸で洗練をみますが、もとの形はすでに関西にございましたし、そもそも江戸前漁業も関西からの出漁者によって形づくられたのでございます。とくに江戸時代初期は文化、経済両面においてまったくの西高東低で、江戸は関西文化圏の影響をきわめて強く受けておりました。
 それが世代を重ねると、借り物の文化も次第に江戸風なものに練れてまいります。そうして一八世紀の半ば頃になると、いわゆる「べらんめい」な江戸っ子の登場とあいなりました。そういうわけで、「お江戸」「江戸前」の成立には関西文化が大きくかかわっていると申してもよいかと思われます。
 ただし、江戸っ子には上方町人と大きく異なる状況がございました。それは幕府の御膝元に居住することで、絶大な権力を常に目の当たりにしたこと。そこに芽生えた反発心、反骨精神というものが、関西にない独自の文化を育んでまいります。
 今回は『江戸前魚食大全――日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで』より、江戸前文化の精神性について紹介します。

 江戸は武家の都であり、商人や職人の生活は、武家の消費活動に寄生することで成立していた。朝、目が覚めて引き窓にみるのは御城であり、天下の大道を闊歩するのは二本差しだ。支配者層の存在をつねに感じないわけにはいかない。そこに決して勝つことのできない権力への対抗心が生まれた。初鰹にあり金をはたく心もちなどは、カツオを「勝男」と珍重する武士らを差し置いて食う、その反骨精神をみのがしては、なかなか理解できるものではない。
江戸の町人が武士を相手に張り合うことのできたのは、吉原と歌舞伎、それと食べることくらいだ。遊里に精通することから「通」がうまれ、武士は「野暮」とされた。市川団十郎演じる助六が河東節(かとうぶし)にのって踊り、啖呵(たんか) を切り、悪態を尽くす姿に、江戸っ子の「いき」と「はり」が体現された。かれらは身分では決してかなわない相手に対し、独自の価値観と美意識で対抗する。そして食べ物に惜しげもなく銭を使うのだ。それは江戸っ子が食にみせた「はり」であったのだろう。
 たとえカラ元気であっても、威勢の良さ──きおいを自負するのが江戸っ子だ。真に江戸っ子たる者がどれほどいたのか知れないが、その姿こそ江戸の町人らの心情を映し出すものであったろう。鼻っ柱は強い。しかし、結局は権力に勝てないのだ。それを知った上で、泣き笑いしてみせるのが江戸っ子のメンタリティといえる。そのような精神に育まれて、江戸時代後期の文化文政期(一八〇四‒三〇)に化政文化が花開いた。その特徴は江戸を中心とした町人文化なのである。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のような滑稽物や当代の風俗を描く錦絵、また、社会風刺的な言葉遊びの強い川柳など、この時代を代表する文化は江戸の町人のあいだから出てきた。その萌芽はすでに宝暦から天明期(一七五一‒八九)にあらわれてくる。そこで、おおよそ一八世紀後半に江戸の町人たちの生き方からうまれた価値観というのが、第四の江戸前の意味するところだと思う。
 魚のなかにも江戸っ子好みがあった。概してさっぱりとした風味を好む。濃厚な赤身よりも淡白な白身のほうが好きである。マグロは下魚。あの赤身が黒ずむのはいただけない。脂身(トロ)などもちろん捨ててしまう。それから大型の魚よりも小魚が良い。コハダのすしなど実に粋なものである。脂がのった旬のものもいいが、それよりも初物がよほど珍重された。そして山葵(わさび)の刺激的な風味といったら、まるで江戸っ子好みである。こういうのが江戸の魚食いの形だったようだ。
 そこにはっきりと基準があるわけでない。熟成よりも若い味を好むとか、肉厚よりも身の締まった小魚がいいなんて、本当にそのほうがうまいのかもわからない。極端にいえば、うまく食うのを我慢しても、形良く食おうとしたのでは、と思えるふしがある。蕎麦の食べ方とか、熱い風呂が好きだというのと相通じるのではないか。風味を感じるために蕎麦をつゆに浸さない。次に入る人への配慮から湯はうめない。確かに理由はそうなのだが、そんなことはどうでもよくて、要するに恰好よくキメることが重要であるのだ。
 魚食には、とりわけ江戸っ子の美意識が反映されているように思うのだが、どうだろう。

 実は「恰好よい」という言葉も関西からきたもので、江戸では「容子(ようす)がよい」と申しました。今はつかわれなくなりましたが、なかなか品のある言葉ではありませんか。「貴方だって、いい服装(なり)をすれば容子がいいんだから」と言うと、とても褒めている感じがいたしますし、「あの英国人ロッカーはなかなか容子がいいねえ」なんて、ちょっと粋な風情の、ロックミュージックに寄席音曲の息吹を感じて好もしい気がいたします。

 『江戸前魚食大全』では、江戸前な価値観、魚食いを自負する江戸っ子のメンタリティについても言及しております。ぜひ手に取ってご覧ください。

(筆者/冨岡一成)

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ただ触れ合い、寄りそうだけでいい。相手を癒すことで自分が癒される。 ――人は皮膚から癒される

人は皮膚から癒される

山口創 著

◆不調、ストレスの原因は「触れ合い」不足にあった!

 悲しみに沈んでいるとき、困難に打ちひしがれているとき、ただそばに寄りそってくれる人がいるだけで勇気づけられたことはありませんか? 実は皮膚は、直接触れ合わなくても親密な人が近くにいるだけで相手を感じ、癒しに向けた治癒力を発揮することがわかっています。今、認知症ケアで注目されているユマニチュードの手法においても、患者に「寄りそい、見つめ、話す」行為が直接「触れる」ことと同じように重要視され、病状改善に目覚ましい効果を上げているといいます。

 本書では、直接触れ合うことや、そばに寄りそうといった、親しい人との触れ合いや関わりが、いかに病気やストレスを軽減し、生きづらさや抑うつを防ぎ、幸福感を高め、元気を回復させるのかを明らかにするものです。

◆相手を癒すことで自分が癒される、幸福に生きるための究極のメソッド

 興味深いことに、相手を癒してあげようとするマッサージなどの触れる行為が、実は自分を癒すことにつながることが著者たちの実験で明らかになりました。触れることにより互いの脳内ではオキシトシンという深いリラックス感をもたらし、ストレスを癒す働きをするホルモンが分泌されるのですが、その分泌量を調べてみると、マッサージの受け手よりも施術する側のほうが多く分泌されていたのです。
 相手を癒すことで自分が癒される――、これは原因不明の不調やストレスに悩まされ続ける現代人にとって、癒しを取り戻す大きなヒントになるのではないか、と著者は指摘します。
 さらに、本書ではユマニチュードをはじめ、セラピューティック・ケア、タクティールケアなど医療や介護の現場で注目されている「触れるケア」の効能についても検証します。実際に自分一人でも始められる皮膚から元気になる方法も数多く提案していきます。
ぜひ多くの方に読んでいただきたい一冊となっております。

(担当/吉田)

本書の目次から
触れなくても肌は感じている/ストレスを癒す身体のメカニズム/自尊感情が低い人ほど有効なタッチ/パートナーの有無による心理の変化/皮膚が他者を判断していた/失われた皮膚の交流/なぜ日本人は対人関係に悩むのか/抱きしめ細胞の存在/生きづらさの原因は皮膚が閉ざされているから?/境界が拓かれることで人は癒される/「人の手」で触れる意味/人間関係を改善する皮膚コミュニケーション/皮膚を拓いて、元気な自分を取り戻す…etc

著者略歴

山口創(やまぐち・はじめ)

1967年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。専攻は健康心理学・身体心理学。桜美林大学教授。臨床発達心理士。「手当て」としてスキンシップケアの効果やオキシトシンについて研究している。主な著書に『手の治癒力』(草思社)、『子供の「脳」は肌にある』(光文社新書)、『幸せになる脳はだっこで育つ。』(廣済堂出版)など多数。

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Amazon:人は皮膚から癒される:山口創 著

楽天ブックス: 人は皮膚から癒される - 山口創 - 4794222149 : 本

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旧約聖書はキリスト教とユダヤ教とイスラム教の聖典なのだ  ――声に出して読みたい旧約聖書<文語訳>

声に出して読みたい旧約聖書<文語訳>

齋藤孝 著

 いま世界は一神教同士の戦いで紛糾している。
 旧約聖書は新約聖書と対になるキリスト教の聖典と受け取られているが、実はユダヤ教の聖典でもあり、イスラム教の聖典(啓典とも言う)の一つでもある。世界の大宗教の源流となっているだけでなく、十字軍以来何かと火種となっているキリスト教とイスラム教の対立が同じルーツから出ていることがわかる。どうも互いに相手を認めない一神教の苛烈さがテロなどの騒動の一因ともなっているらしい。
 日本というある種ぬるま湯的環境にいてはわからない対立の厳しさは旧約聖書を読むことで少しは理解できるようになるだろうか。
 確かにこの文書は人類の最も古い記録文書の一つであり、ひどい苦しみを生き延びてきた民族の歴史である。ユダヤ民族の苦難の歴史を書き留めたさまざまな文書から構成され、紀元前400年頃に成立したと言われるが、それ以前、天地創造から始まる2500年間ぐらいの歴史がつづられている。
 神によって理不尽とも言える試練を与えられながら、戒律によって神と契約を結び、聖地エルサレムへ帰還を果たすユダヤ民族。大洪水に遭ったり(ノアの箱舟)、大火災に遭ったり(ソドムとゴモラ)、奴隷として連行されたり(バビロン捕囚)、これでもかこれでもかというぐらい、まことに悲惨で不条理な神による試練の連続である。
 これを読んでいると、なぜか現代の不条理さも少しは納得できるような気になってくるから不思議である。残酷で意味のないことに耐えるということが人間の要諦なのだということらしい。本書は長くて読みにくい、旧約聖書を理解するために、著者が巧みにダイジェストした絵入り、図入りの便利な本としておすすめしたい。

(担当/木谷)

著者紹介

齋藤孝(さいとう・たかし)

1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『宮沢賢治という身体』(世織書房、宮沢賢治賞奨励賞)、『身体感覚を取り戻す』(日本放送出版協会、新潮学芸賞)、2001年刊行『声に出して読みたい日本語』(草思社、毎日出版文化賞特別賞)は続篇(第6巻まで刊行)、関連書をあわせて260万部を超えるベストセラーとなっている。「声に出して読みたい日本語」の古典教養シリーズに『論語』『親鸞』『志士の言葉』『古事記』『新約聖書〈文語訳〉』『禅の言葉』がある。近著に、『雑談力が上がる話し方』(ダイヤモンド社)、『語彙力こそが教養である』 (角川新書)など多数。

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嫌われ者のイメージは、こうして作られた?! ――外来種は本当に悪者か?

外来種は本当に悪者か? ―― 新しい野生 THE NEW WILD

フレッド・ピアス 著 藤井留美 訳

◆よそ者の生物たちがもたらす数々の効用

 外来種と聞くと、「周囲の生物を食べつくす危険な存在」というイメージが浮かぶことでしょう。しかし、著名な科学ジャーナリストの著者によれば、実際は、環境になじめず死滅するケースが多いのだとか。おまけに、晴れて環境に定着した生物でも、受粉や種子の伝播を手助けしたり、イタドリやホテイアオイなど、むしろ人間が破壊した生態系を再生したりする役割も果たすというから驚きます。
「外来種は悪い」という一般的なイメージは、どのように作られたのか? 著者は、そんな問題意識から、嫌われ者の外来種たちの“活躍" 例を、世界中から集め、その役割に光をあてます。

◆人種偏見に基づく民族浄化と外来種排斥は同じ構造

 本書の冒頭は、豊かな自然で知られる南大西洋のアセンション島の紹介で始まります。豊かな自然が残ることで知られる島ですが、驚くことに、それは太古からの姿ではなく、過去1世紀の間に、欧米人により世界じゅうからさまざまな動植物が持ち込まれてできた、まったく新しい自然だというのです。
 そうした象徴的な事例に続き、著者は、「在来種は善、外来種は悪」という価値観を根づかせてきた「侵入生物学」の各種論文のずさんさや、外来種の繁殖の原因はひとえに人間による環境破壊にあることなどを丁寧な取材から指摘。外来種排斥を人種偏見に基づく民族浄化になぞらえ、それが自然環境保護、自然の再生という目的の達成にはつながらないことを徹底的に解き明かしていきます。

◆日本の現状については解説で補足

 巻末には進化生態学者の岸由二氏による解説も付けました。R・ドーキンス『利己的な遺伝子』共訳者で、「流域思考」を基軸とした都市の自然再生活動に携わってきた同氏によるまとめは、日本の現状を知る上にも必読の内容と言えるでしょう。

「手つかずの自然」が失われている昨今、自然の摂理のもとで外来種が果たす役割を「新しい野生(ニュー・ワイルド)」として評価し、外来種のイメージを根底から覆す、知的興奮にみちたサイエンス・ノンフィクションの登場です。
(担当/三田)

本書の目次から

世界中から持ち込まれた動植物/外来種も病原菌も人類の旅のお供/ホテイアオイとナイルパーチが増えた真の理由/ほんとうの原因は人間による環境破壊/長い時間軸でとらえると在来種などいない/ペット出身の外来種たち/かわいらしい外来種は許される?/外来種排斥という陰謀の不都合な真実/民族浄化ならぬ生態系浄化の狂信ぶり/外来種悪玉論からの改宗と周回遅れの環境保護運動/ほとんどの荒れた生態系は回復している/驚くほど都会暮らしを楽しむ野生生物たち/野生生物の天国、チェルノブイリ/管理なき自然を求めて...etc.

著者紹介

フレッド・ピアス(Fred Pearce)

ジャーナリスト。環境問題や科学、開発をテーマにと 20年以上、85カ国を取材。1992年から『ニュー・サイエンティスト』誌の環境・開発コンサルタントを務めるほか、『ガーディアン』誌などで執筆、テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍する。2011年には長年の貢献に対しAssociation of British Science Writers から表彰を受けた。著書に『水の未来』(日経BP)『地球最後の世代』(NHK 出版)『地球は復讐する』『緑の戦士たち』(いずれも草思社)ほか多数。『地球は復讐する』は23カ国語に翻訳され世界中に大きな影響を与えた。

訳者紹介

藤井留美(ふじい・るみ)

上智大学外国語学部卒。訳書に『ビジュアル版 人類の歴史大年表』(柊風舎)『<わたし>はどこにあるのか』(紀伊國屋書店)『ビジュアルダ・ヴィンチ全記録』(日経ナショナル ジオグラフィック社)など。

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暑い夏に涼しくなれる、「鰻」にまつわる江戸で一番怖い怪談を紹介します  『江戸前魚食大全』(冨岡一成著)より

 そろそろ、本格的な暑さが始まる季節。日本人にとって鰻が一番うまくなる季節の到来です。
 ところで、「土用丑の日」に鰻を食べる習慣が江戸時代にうまれたことをご存知ですか?
「土用」というのは、季節の変わり目の約18日間のことをいって、年に4回ございます。そのうち立秋前の土用丑の日(今年は7月30日)に鰻を食べる習慣が江戸時代から始まったのです。
 夏場は売れ口が悪いと鰻屋から相談を受けた平賀源内が、「本日土用丑の日」と紙に書いて店先に貼ったところ、これが宣伝文句となり鰻屋は大繁盛し、他の店もこれを真似るようになって、土用丑の日に鰻を食べる習慣がうまれたという逸話はあまりに有名でございます。
 いや、そうではなくて、神田の老舗鰻屋の深川屋から依頼された大田南畝が「土用丑の日に鰻を食うのは身体に良いぞ」と広めたのだという人もおりますし、それとは別に神田の春木屋を元祖とする説もございます。蒲焼の保存法を尋ねられた春木屋善兵衛が、土用子の日・丑の日・寅の日に焼いた鰻を土蔵に密閉して試したところ、丑の日のものだけが色も香りも変わりません。暑気にあたらぬものとして、これを売り出したら大いに当たったと申します。
 いずれも俗信めいたお話ですが、実際に暑い盛りに鰻を食べる習慣がうまれたのですから、「土用丑の日」は、いまでいうキャッチコピーのはしりだったのかもしれません。 
 今も昔も日本人に愛され続けている鰻ですが、実は江戸時代の人々は、鰻のことを恐れていたようなのです。どういうことなのでしょうか? では早速、江戸で一番怖い怪談と言われた鰻のお話を、『江戸前魚食大全――日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで』から、ご紹介いたしましょう。

江戸後期の本草学者佐藤中陵の随筆集『中陵漫録』(一八二六)に「鰻鱺(うなぎ)の奇話」というのがある。

江戸の麻布で古くから鰻屋を営む男が、ある日、気がふれた。まな板の上に横たわり、包丁を自分の
喉に突き立て、「我はウナギなり」と絶叫し続けて、ついに死んだ。周囲の者は「長年のあいだウナギを割いてきた報いだろう」とささやいた。
ウナギに呪われた職人は、決まって頭がおかしくなり、ウナギのしぐさを真似しながら死んでいく。
そうした因縁話はいくらもあって、噂までも含めれば鰻屋の数ほど伝わったのではないかとすら思う。
ウナギを割くたびに祟られていたら、この世から鰻屋が絶えてしまうが、江戸っ子はこういう話が好きなのである。
なかでも滝沢馬琴が編纂した随筆集『兎園小説余録』に出てくるウナギの因縁話は有名だ。

……叔父の某は左官の棟梁だが、左官になる以前ある鰻屋の養子になっていた。
某は鰻職人の養父にともない、ウナギの買い出しに千住へ行き、日本橋の河岸へも行った。ある日、
養父と買い出しに出かけ、ウナギを仕入れてきたなかに、驚くほどの大ウナギが二匹まじっている。
「こんな大きな奴は、今朝買ったときにはいなかったはずだが。どういうわけだろう」
「確かにこんな奴はいませんでしたね。しかしこれは珍品ですね。お得意様に鰻の荒いのがお好きな方がいらっしゃいます。囲っておいて、あの方にお出しすればよろこばれましょう」
某がそういうと養父も了解した。
翌日、そのお得意が友人をともなって店に現れた。養父がたいそうな大ウナギが手に入ったというと、
「それなら、すぐに焼いてもらおう」と注文して、上機嫌で二階に上がった。
そこで、養父が大ウナギの一匹を生簀からつかみ出して割こうとすると、どうしたことかウナギ錐(きり)で自分の左手を突き通してしまった。痛みがひどいので、やむをえず某を呼び、代わりに割いてくれるよう頼んで血のしたたる手をかかえて引き下がった。
代わって割こうとした某だが、ウナギは手にきりきりとからみついて、尋常でない力で締めつける。
ひどく痺(しび)れて痛むので手を引くと、ウナギは尾を反らして某の脾(ひ) 腹(ばら)を強く打った。息が詰まるほどの強さである。どうにも難儀してしまった某はしっかりとウナギをつかむとそれに向かい小声でいい聞かせた。
「よく聞け。どんなに暴れても、お前の命は助からないのだ。頼むから素直に割かせてくれ。その代わりおれはこの家を立ち去って、きっとこの商売はやめる」
それが通じたのか、ウナギはからみついた体をほどくと、某の手で静かに割かれた。ところが、苦心
して割いたウナギを焼いて出すと、お得意もその連れも気持ちの悪いにおいがする、といって箸をつけようとしなかった。
さて、その日の夜中のことである。生簀から騒がしい音が聞こえてくるので、家の者は驚き気味悪が
った。某が手燭をとって蓋を開いてみると、夥しいウナギが頭をもたげてこちらを睨んでいる。そして、もう一匹残っていた大ウナギはどこかへいなくなっていた。某は恐ろしくなってしまい、夜明けを待って養家を出奔した。
それから某は上総の実父の元で一年ばかり過ごしたが、ある日養家から「養父は昨年より病を患い、
まるで頼みにならないから、急いで帰ってきてほしい」という手紙が届く。養家と離縁したわけでもないので、某は養父の看病をかねて戻ることにした。ところが帰ってみると、養母は情夫を家に引き入れ、商売に身を入れず、寝たきりの養父を納戸に押し込めて看病する者もつけないありさまだ。某はそれをたしなめ、病人を座敷に運んで自らが看病するが、養父は薬も食事もまったく受けつけない。ただ水だけは飲む。ものをいうこともできず、ウナギのように顎をふくらませて息をつく。なんとも情けない姿のまま、ほどなく息を引き取った。
某は後始末をねんごろにして養家と離縁した。それから左官の技術を習って、それで渡世をするよう
になった……。

 さて、「江戸で一番恐い怪談」いかがでしたか? 現代のより刺激の強いホラーに慣れた向きには、その恐ろしさはあまり伝わらないかもしれませんが、この話から、江戸人の心に去来する殺生に対する恐れが見てとれるのではないかでしょうか。現代とはちょっと違う江戸人と魚の付き合い方。大変興味深いものです。江戸と魚にまつわる話をもっと知りたい、読みたいと思った方は、ぜひ『江戸前魚食大全』を手に取ってご覧ください。

(筆者/冨岡一成)

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「石油」争奪の時代から「水」争奪の時代へ!?  地球規模の難題を克服する道を示す一冊。 『水危機を乗り越える!』

水危機を乗り越える!

――砂漠の国イスラエルの驚異のソリューション

セス・М・シーゲル 著 秋山勝 訳

◆日本は「水」の輸入大国だった!

 「水ストレス」という言葉があります。人びとが利用できる水の量が減り、日常生活に不便を感じる状態を表す言葉。世界的な水不足が進行するなか、きわめて高い水ストレスに直面している国は37か国もあるといいます。
 じつは日本も「水ストレス・高レベル」の国なのです。「水と安全はタダ」「湯水のように遣う」などといわれる、人口の100%が安全な水を利用できる日本が? 

 意外かもしれませんが、問題は食糧です。食糧自給率が40%を切る(カロリーベース)という日本が輸入する大量の食糧(農畜産物)の生産には、大量の水が必要です。バーチャルウォーター(仮想水)と呼ばれるこの水を換算すると、日本は世界有数の水輸入国だというのが現実です。世界の水危機はけっして対岸の火事ではないのです。

◆人口増大が水危機を加速させている

 2025年には世界人口のじつに3分の2が水不足に直面するという予測もあります。現在、加速している水危機は、温暖化などによる気候変動、そして何よりも人口の増加が引き起こしているといわれます。

 世界の人口は毎年8000万人ずつ増加しており、これにともなって水の需要が毎年640億㎥ずつ増加するという試算があります。人口が増え、生活水準が高まっていけば、食糧生産や工業生産が増大し、それは水を含めた資源への負荷がさらに増大することを意味します。
 ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』(草思社刊)で指摘されているとおりのことが、いままさに地球規模で加速的に進行しつつあるのです。

◆21世紀は水をめぐる戦争の時代

 水資源の枯渇は、当然のようにその争奪戦を生み出します。20世紀は「石油」をめぐる戦争の時代だったが、21世紀は「水」をめぐる戦争の時代になる――と、世界銀行元副総裁のイスマイル・セラゲルディン氏は1995年の時点で述べています。

 国境を越えて流れる大河川の水資源分配をめぐり、世界各地で紛争の火種がくすぶっています。たとえばナイル川流域のタンザニア、エチオピア、エジプト。ヨルダン川をめぐるイスラエル、ヨルダン、パレスチナ。チグリス・ユーフラテス川とトルコ、シリア。インダス川とインド、パキスタン。メコン川をめぐっての中国と東南アジア諸国――。

◆砂漠の国は、どうやって水危機を乗り越えたか?

 この水危機を乗り越えるにはどうすればいいのか?

 日本もまた問題解決のための高度な技術をもっていますが、注目すべきなのが、国土の60%が砂漠というイスラエルです。イスラエルはさまざまなイノベーションを積み重ねて水問題を克服、いまでは豊かな水の国を実現しています。

 本書は、イスラエルで建国以来、連綿と続けられてきた「水」に対する多様な手法やシステム、技術革新を詳細に紹介、さらにグローバルビジネスをも構築してきたその軌跡を分析したものです。

 節水、再生水、海水淡水化。あらゆる方法で、あらゆるところから水を絞り出していくのがイスラエルの手法。
 たとえばシムハ・ブラスという人が開発した「点滴灌漑」によって農耕地灌漑に使用される水の量が大幅に抑制されました。さらに、少ない水量で生育する品種を改良、また塩分を含む地下水でも育つ作物を生み出すなど、「限られた水」を最大限に利用しつくすさまざまな技術が産み出されています。

◆水を生み出すシステムが、グローバルビジネスをも生み出す

 また廃水のリサイクルシステム。棄てられていた水から再生水を生み出すのみならず、その行程でさまざまな汚染物質(医薬品などの残留物もふくむ)を取り除き、水資源の汚染をも軽減させています。さらに無尽蔵にある「海水」の淡水化システム。巨大な淡水化プラントは、大量の水を生産すると同時に、その技術を輸出することで巨大な水ビジネスの市場をも生み出しているのです。

 21世紀世界の難問である「水危機」をいかに乗り越えるか。その解のひとつを、この砂漠の国が示しています。日本ではまだあまり知られていない、イスラエルの水問題への取り組み、その斬新なイノベーションの数々は多くの示唆に富んでいます。

 全米ベストセラー、M・ブルームバーグ氏やT・ブレア氏などが強く推奨する、まさにいま必読の一冊です。

(担当/藤田)

著者紹介

セス・М・シーゲル
1953年、ニューヨーク市生まれ。コーネル大学卒業後、ヘブライ大学で国際関係学を専攻。その後、コーネル大学法学院で法務博士号を取得。弁護士、起業家、アクティビスト。水資源、国家安全保障、中東問題をテーマにニューヨーク・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルをはじめ、ヨーロッパ、アジアのメディアに数多く寄稿するほか、フォーリン・アフェアーズ誌を刊行する外交問題評議会の会員である。

訳者紹介

秋山勝(あきやま・まさる)
立教大学卒業。出版社勤務を経て翻訳の仕事に。訳書に、ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー』、バーバラ・キング『死を悼む動物たち』、ジョン・ゲヘーガン『伊四〇〇型潜水艦 最後の航跡』、ティム・ジューダ『アベベ・ビキラ』、ジョージ・サイモン『他人を支配したがる人たち』(以上、草思社)、マーティン・フォード『テクノロジーが雇用の75%を奪う』、ゲイル・カーリッツ『アメリカの中学生はみな学んでいる「おカネと投資」の教科書』(以上、朝日新聞出版)など。

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