草思社のblog

ノンフィクション書籍を中心とする出版社・草思社のブログ。

「怪しげな東洋人」という役柄が彼の忘れられた理由ではないか『占領下のエンタテイナー』寺島優 著

占領下のエンタテイナー

日系カナダ人俳優&歌手・中村哲が生きた時代

寺島優 著

 本書(『占領下のエンタテイナー』)の201ページに1952年2月の『NHKスター・オン・パレード』の写真が載っている、占領末期のおそらくNHKラジオ主催による当時の花形歌手共演のいかにも豪華な歌謡ショーの写真である。そこに写っている、舞台に横並びに立った歌手(および歌う映画スター)の名前を左から上げると「久慈あさみ(社長シリーズの社長夫人役が有名)、越路吹雪、中村哲、淡谷のり子、灰田勝彦、ディック・ミネ、鶴田浩二」とある。中村哲以外は今でも記憶される、そうそうたる名前のスター、歌手であるが、いま彼一人、忘れられた存在になっているのはなぜだろうか。
 それはおそらく、中村哲が時代の寵児であり、占領下日本、植民地日本を体現していた(し過ぎていた)からなのではないか、というのが編集者の推理である。
 これは戦後日本の「恥ずかしい」時代であった。
 訪米から帰国したスター女優田中絹代は飛行機から降りて来るなり投げキッスをして「アメション女優」と揶揄された。日大ギャング事件の主犯は捕まった時「オーミステイク」とつぶやいて流行語になった。トニー谷は「トニイングリッシュ」なる珍妙な英語もどきを連発した。戦争に負けてアメリカに占領された日本はアメリカ人になろうとして懸命だった。恥も外聞もなくアメリカ人の物まねをする人も多く、また「パンパン・オンリーさん」の時代でもあった。
 その時代、英語ができて歌をうたえる中村哲、日系カナダ人二世の彼は進駐軍キャンプでスペシャルAランクの芸能人としてわが世の春を謳歌していた。戦後、多くつくられた日米合作映画の常連であり、東宝のB級娯楽映画にもよく出ていた。口ひげを蓄えたがっちりした体格、英語も得意だから「怪しげな東洋人」といった役どころが多かった。
『五十万人の遺産』という映画がある。三船敏郎主演で三船唯一の監督作品である。フィリピン山中に残された山下将軍の埋蔵軍資金を探しに行くサスペンス映画だが、ここにも中村哲は出演していて三船を追い詰める謎の東洋人をやっている。
 この口ひげの茫洋とした風貌が、いかにも植民地日本に似合っているのである。何か後ろ暗い商売、密輸などで大儲けしていそうな男、インチキそうな英語(実際の中村はちゃんとしたネイティブの英語をしゃべったが)を使い、アメリカ人風の立ち居振る舞い、彼が体現していたのは戦後日本人の典型ではないのか。中村は1960年代から70年代にかけて初期のテレビ番組やテレビCМに出演しながら次第に姿を見せなくなっていく。
 日本は高度成長期を迎えてもはや戦後ではないと言われるように、占領時代は忘れたかのようになった。日本人は中村哲のことは忘れたかったのかもしれない。植民地日本の恥ずかしい過去、それは忘れられたとはいえ、いまでも本質は植民地のままではないか、と彼の顔を本書の写真で見るとしきりに思い起こされる。

(担当/木谷)

著者紹介

寺島優(てらしま・ゆう)

本名・中村修。1949年、東京都出身。武蔵大学人文学部社会学科卒業後、東宝株式会社に入社、宣伝部勤務。山口百恵・三浦友和の文芸シリーズや『ルパン三世カリオストロの城』(宮崎駿第1回監督作品)、『火の鳥2772愛のコスモゾーン』(手塚治虫総監督)などの宣伝を担当。また、当時のゴジラ映画全作品を日替わり上映した『ゴジラ映画大全集』(日本劇場)を企画宣伝。1978年、週刊少年ジャンプのマンガ原作賞に入賞。翌年に『テニスボーイ』(小谷憲一)で連載デビュー。他に『雷火』(藤原カムイ)『競艇少女』(小泉裕洋 )『スポーツ医』(ちくやまきよし)『三国志』(李志清)などマンガ原作多数。80年12月に東宝を退社後はTVアニメの脚本(本名)も執筆。『それいけ!アンパンマン』では「バイバイキ~ン!」「元気100倍!アンパンマン」といった決め台詞を創案。2019年には初の舞台脚本『かぐや姫と菊五郎』を書き下ろす。1999年、山梨県の富士北麓に移住。趣味は、音楽と映画とタップ。

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