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草思社のblog

ノンフィクション書籍を中心とする出版社・草思社のブログ。

言葉を使わない抽象的思考力を養う。画期的問題集 『考える力がつく算数脳パズル 絵なぞぺー』〈対象年齢:小学2年~6年〉

学参・語学

考える力がつく算数脳パズル 絵なぞぺー

高濱正伸・川島慶 著

◆問題文がない! 絵を見て答える「なぞぺー」が登場!

 累計53万部、大人気学習教室「花まる学習会」のメソッドが詰まった小学生向け問題集「なぞぺー」シリーズに、新しい仲間が加わりました。今回はなんと、「問題文がない問題集」です。

 本書の問題は、絵を見てそれを正しく表している表やグラフを選択肢から選ぶというもの。お風呂に水がたまるときの「水の量のグラフ」や、ウサギとカメの競争のときの「ウサギ/カメの進んだ道のりのグラフ」、カレーライスを食べるときの「ごはんとカレーの減り方のグラフ」など、楽しい問題ばかり。図で考える力や、グラフや表を読み解く力を身につけます。
 

◆言語を介さずに抽象的な思考をおこなう体験を!

 大人になると、人はおおむね言葉を介して思考・表現するようになりますが、子どもたちは言語だけで考えていない、と本書の著者は言います。最上位の算数・数学力のある子たちは、応用問題でも、問題を見てパッと出題者が何を言わんとしているかわかってしまい、続けて解決の筋道が見える、という体験をしていると言うのです。この「ビジョンの運用」とでもいう、言葉を経由せずに抽象的な思考をおこない、瞬間的な理解を繰り返す体験を、すべての子どもたちにしてもらいたい、という意図を持って本書はつくられました。

 また、本書には、現代的な意味もあります。現代社会においては、複雑な問題を誰にでもわかる形で図や表やグラフに「見える化」「ビジュアル化」して説明することが求められています。それだけでなく、グラフや表から意味を読み取って、課題を設定したり、まわりの人が納得する解決策を示したりする力まで、必要とされます。本書は、そのような、社会に出てから役に立つ力を身につけるきっかけとなることも目指しています。

 『絵なぞぺー』は、他の「なぞぺーシリーズ」と同様、「子どもにも解けるけれど、大人でもむずかしい」問題です。家族みんなでいっしょに楽しんでいただけば、より、子どもたちの思考力育成につながることでしょう。

 

例題: こんな楽しい問題が合計74問!

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 (担当/久保田)

 

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考える力がつく算数脳パズル 絵なぞぺー<小学2年生〜小学6年生> | 書籍案内 | 草思社

北海道新幹線(東京─新函館北斗間)は「3時間30分台」を目指せ!――『全国鉄道事情大研究 青函篇』

生活・実用

全国鉄道事情大研究 青函篇

川島令三著   

◆北海道新幹線の所要時間「4時間2分」は大幅に短縮できる

 「全国鉄道事情大研究」シリーズでこれまで関東、東海、関西、北陸、中国、四国、九州と、各地の鉄道事情を解説してきた著者の7年ぶりの続編、『青函篇』が誕生しました。

 本書『青函篇』では北海道長万部以南、青森、岩手、秋田の計15路線を解説していますが、その中の最重要路線が、この春に開業した新青森─新函館北斗間の北海道新幹線です。旭川までの全線のうち3分の1程度ですが、東北新幹線から直通しており、青函エリアに住む人々にとっては福音といえます。
 しかし問題もあります。ひとつは所要時間です。
 東京─新函館北斗間での最速列車の所要時間は4時間2分。余裕時間の切り詰めなどによって、スーパーの値付けのように3時間58分とすることは可能でした。なのに、4時間の壁を突破することは無理だといわんばかりの4時間2分です。
 北海道新幹線は途中に新中小国信号場─木古内間が貨物列車との共用区間となっており、この区間での最高速度は140キロに制限されています。これがネックなのですが、貨物列車との擦れ違いを避けるなどの工夫によって所要時間は3時間30分台に短縮することは可能だと著者は言います。

◆新函館北斗駅の混雑と接続の悪さは、これで解決

 もうひとつの問題は、新函館北斗駅で在来線に乗り換える際の混雑や接続の悪さです。
 現在、到着列車は12番線を使います。在来線ホームへ行くには2階のコンコースを経由しますが、階段もエレベーターも1か所しかなく、ひどく混雑します。また在来線との接続も30分も空くことがあります。到着ホームを11番線にすることは可能で、そうすれば、在来線との乗り換えは平面移動だけですみます。速やかに改善すべきだと著者は提言します。

◆快速の増発やバス会社との提携により観光開発を

 今回取り上げた15路線のうち観光路線として人気が高いのはJR五能線です。車窓からの景色が風光明媚なため、行楽期には快速「リゾートしらかみ」の指定席券は取れないことが多い。増発すべきですが、その際は弘前に寄らずに直接、青森から川部に行くのがいいと、著者は提言しています。観光するにあたって無駄な時間を省くためです。
 北海道新幹線の開業により、津軽半島周遊といった観光コースも生まれました。中小民鉄の津軽鉄道の出番です。著者はJRやバス会社との提携による観光開発を提言しています。
このエリアの鉄道全般について著者が強く提言しているのは、快速の設定、増発、定期化などの積極策です。便利にすることによって利用増が図れると確信しているからです。
鉄道ファンの方にはぜひともお読みいただきたい一冊です。

*著者は現在、シリーズ続編の『北海道篇』を執筆中で、その後『東北篇』(仮題)も刊行予定です。こちらもご期待いただければ幸いです。

著者紹介

川島令三(かわしま・りょうぞう)

1950年、兵庫県生まれ。芦屋高校鉄道研究会、東海大学鉄道研究会を経て「鉄道ピクトリアル」編集部に勤務。現在、鉄道アナリスト、早稲田大学非常勤講師。小社から1986年に刊行された最初の著書『東京圏通勤電車事情大研究』は通勤電車の問題に初めて本格的に取り組んだ試みとして大きな反響を呼んだ。著者の提起した案ですでに実現されているものがいくつかある。著書は上記のほかに『全国鉄道事情大研究(シリーズ)』『関西圏通勤電車徹底批評(上下)』『なぜ福知山線脱線事故は起こったのか』『東京圏通勤電車 どの路線が速くて便利か』『鉄道事情トピックス』『最新東京圏通勤電車事情大研究』(いずれも草思社)、配線図シリーズ『全線・全駅・全配線』、『日本vs.ヨーロッパ「新幹線」戦争』(いずれも講談社)など多数。

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全国鉄道事情大研究 青函篇 | 書籍案内 | 草思社

「犬の糞」から江戸時代の犬の歴史に迫る珍書! ――『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』

日本歴史

伊勢屋稲荷に犬の糞 ──江戸の町は犬だらけ

仁科邦男 著

 「江戸に多いもの、伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」と落語でネタにされるほど、江戸には犬や犬の糞が多かったといいます。なぜ犬は増えたのか? いつから増えたのか? 理想的なリサイクル都市・江戸で、なぜ犬の糞だけが放置されたのか?──
 そんな素朴な疑問を出発点に、江戸時代の犬たちの生態を解き明かしたのが、本書です。  

◆江戸初期、犬は少なかった──犬食い文化と、家康の「餌犬」

 江戸初期の軍学者の記録に、「(江戸には)犬と申すものをほとんど見かけなかった」とあります。理由は二つ。まだ人々が貧しかった当時、犬は貴重な食料で、鍋や吸物、焼き物にして食べてしまっていたからです(体が温まり、薬効もあったとか)。もう一つの理由は、犬は将軍が飼う鷹の餌にされていたことです。鷹狩り好きの家康は、鷹の餌として大量の犬を庶民に供出させていました。江戸初期は、犬にとって過酷な時代でした。

◆綱吉登場──江戸の町犬、大激増と大激減

 犬といえば、5代将軍・綱吉です。生類憐みの令を発し、鷹狩りは中止、犬食いは厳罰、その結果、江戸の町で犬が激増します(その数、10万匹)。文字通り「伊勢屋稲荷に犬の糞」時代の到来です。ところがその後、増えすぎた犬の保護を目的に巨大な犬小屋を現在の中野区に建設し、ほとんどの犬を収容。江戸の町中の犬は「551匹」にまで激減します。犬小屋時代、江戸の町に犬の糞はほとんど見られなかったことになります(綱吉没後、犬小屋の犬は町に開放され、江戸はまた犬だらけに)。

◆吉宗登場──「犬はどこか遠くへ捨てなさい!」

 綱吉没から7年後、吉宗が8代将軍に就任します。この吉宗、祖父の家康を敬慕すること尋常でなく、祖父にならい、鷹狩り復活を宣言。餌犬制度こそ復活させなかったものの、江戸郊外の鷹場の村に対し、「鷹狩りの邪魔になるから犬はどこか遠くへ捨てなさい!」と厳命。その結果、江戸郊外の鷹場の村の犬たちが江戸市街に大流入。江戸の町は犬だらけ、という時代は続きます。ちなみに吉宗時代に狂犬病が長崎に上陸し、江戸でも流行。「犬煩い、多く死す」と記録にあります。しかしそのせいで、江戸の犬が極端に減ることはありませんでした。

◆幕末明治──在来犬滅亡、洋犬時代へ

 幕末、黒船とともに実は洋犬も襲来していました。明治維新後、洋犬至上主義の時代が到来。江戸の町犬たちは無価値なものとして邏卒(巡査)に棍棒で撲殺され絶滅への道を歩むのです(詳細は著者の前著『犬たちの明治維新 ポチの誕生』をご覧ください)。

 

 落語で伊勢屋稲荷に犬の糞、といわれたものの、実際には、時代によって、犬が少なかった時代、多かった時代があったことがわかります。本書では、この犬の通史のほか、「犬死、犬畜生、幕府の犬…なぜ犬はよくいわれないのか!?」「平安時代、犬の糞は天からの警告だった!」など、面白小ネタも満載。犬や犬の糞から江戸時代を読み解く本など、類書はありません。犬好き、歴史好きの方には是非ともお薦めしたい一冊です。 

(担当/貞島)

著者紹介

仁科邦男(にしな・くにお)

1948年東京生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、西部本社報道部、『サンデー毎日』編集部、社会部、生活家庭部、運動部、地方部などを経て2001年、出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献史料をもとに研究を続ける。07年より会員誌『動物文学』(動物文学会発行)に「犬の日本史」を連載中。著書に『犬の伊勢参り』(平凡社新書)がある。

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草思社文庫『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』 文庫版のための「長いあとがき」大泉実成

日本文学(ノンフィクション)

説得 ――エホバの証人と輸血拒否事件

大泉実成 著

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 過日、この文庫版のあとがきを書くために30年以上前に書いた自分の本を読み返してみたのだが、手ひどい羞恥心にさいなまれて、しばしもがき苦しむこととなった。
 若かったから格好をつけていたのだろうが、自分の本音とぜんぜん向き合っていない。だいたい執筆動機ですら本音ではない。なにが「もっとも大きな理由は、私が10歳のとき、少年と同じようにエホバの証人を目指す子供であった、というところにあるのかもしれない」だ。まったく、30年前の自分に向かって、格好をつけるのもいい加減にしろと言いたい。

 本音を言えば、この作品を書くことは、僕にとって哲学的なひとつの「実験」だった。

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 1975年のハルマゲドン預言が外れ、中学生の僕はエホバの証人を辞めた。しかしエホバを離れても『神とは何なのか、だいたいそんなもの、人間を超越したものは存在するのか』『そもそも、真の価値などどいうものは存在するのだろうか』という疑問は僕の中でくすぶり続けた。どう考えても食う当てのない大学の哲学科になんてところに入ってしまったのも、結局はこの問題に自分なりに決着をつけたかったからだった。そしてそれは、思いも寄らぬほどの苦行となった。


 本書では、僕の過去の宗教体験についてはエホバの証人のことしか書かれていない。しかし、戦後の混乱期に生きた祖父や父母から、僕は実にさまざまな宗教を押しつけられていた。
 第二次大戦の敗戦後、日本人の多くは思想的、宗教的混乱を抱え込むことになった。皇国思想という強力な国家神道、いわば「大きな物語」に支えられて進められた戦争で日本が負け、天皇が人間宣言をして、そこに巨大な宗教的空白が生まれたからである。そして、雨後のタケノコのごとく新宗教が現れる。
 僕の母方の一家は、母が5歳のときに満州から引き揚げてきたのだが、そこで祖父が信じたのは「大本教」であった。
 やがて、高度経済成長という新たな「大きな物語」が語られ始めた頃、母は熱心な「創価学会」信者になった(現在は脱会している)。
 引き揚げのとき、息子を死なせてしまい、もう一人の息子を現地の中国人に預けてきた祖母は深いこころの傷を負い、本書にあるとおり、それを癒すための空間を「エホバの証人」に求めた。
 高度経済成長の中、矛盾だらけの会社組織とうまく折り合えなかった父は、社会正義を求めて「マルキシズム」にその解答を求めようとした。
 僕は2歳で大本教の祝詞を唱えさせられ、4歳から当時創価学会の本山であった大石寺に通うようになり、9歳から14歳までをエホバの証人たちとともに過ごした。大学ではマルクスについても学んだ。つまりは、そのそれぞれと付き合ってみたわけだが、こころ動かされる場面はあったものの、そのどれかを「真の価値」として信ずるようにはならなかった。何よりも、そうすれば他のものを否定しなければならなかったからである。
 別の視点から見れば、僕は子どもという立場から、祖父母や親の世代の思想的混乱を自分なりに理解し、統合しようと試みていたわけである。
 では、信じられる「真の価値」とは何なのか。それは僕にとって、あるいは僕と似たような立場にいる人間にとっては、第二次大戦敗戦後の思想的混乱から端を発し、現在も続いている問いであり、祖父母や親の世代からわれわれが引き継いだ課題ともいえる。僕はそんな茫洋とした文脈の中で、哲学科の学生としての日々を過ごしていた。


 さて、話を「哲学的実験」というところまで戻そう。
 大学の哲学科に入ったまさにその年、ピカピカの1年生、僕は哲学科の基礎演習として宮武昭という助教授から「Atheism and the Rejection of God(無神論と神の拒絶)」という、一年が読むにははなはだ難解な本を読まされた。みんなうんざりした顔をしていたが、この本は僕にとって実にありがたい本になった。というのも、タイトルが示すように、この本は神の存在証明について徹底的に論じたものだったからだ。講義に使われたのはその一部だったが、あまりに面白かったので一冊丸ごと翻訳してしまったくらいである。たぶんそんな学生は僕だけだったろう。
 哲学業界では、かの偉大なるカントの業績を例示して、神の存在証明の方法とその失敗について論じることになっている。それが以下の4つである。

 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
 宇宙論的証明:因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。

 いずれも証明ともいえないレベルのもので、徹底的に論破されている。
 エホバの証人は彼らの理論書の中でよく目的論的証明に言及していた。このように美しい地球に、偉大なる設計者が存在しないとは考えられない、とかいうあれである。
 カントはこの証明に対し、痛烈な批判を浴びせている。
「この理性は、自然の所産を人間の芸術ないし技術が作り出すものをもとに類推し(自然物と家屋、船舶、時計などとの類似から)、この類推に基づいて推論しているのである。」(B654)「自然神学的証明が証示するのは、せいぜい世界建築士であって、世界創造者ではありえないだろう。」(B655、ちなみにBというのは業界では大幅に手を加えられた『純粋理性批判』の第二版のこと)
 こういう議論は日本人には一番バカバカしいと思われるであろう。要するに機械とか家とかがあってこれには設計者がいる、と言われれば納得するが、その辺の石ころとかごみくずとかを持ち出して「これには設計者がいる」なんて言われたって納得できるわけがない、ということである。
 キリスト教神学の神の存在聡明はだいたいこの四つに集約できるわけだが、いずれも失敗している。要するに神なんてものの存在は、証明できるようなものではないのである。それは「信じる」しかないものなのだ。
 哲学科で勉強しているうちに、もちろん、特定な宗教の神の「証明」は不可能にしても、むしろ、宗教よりもっと根源的なもの、いわば「プレ宗教」「原宗教」とでも呼ぶべきものがあるのではないか、と考えるようになった。個別の宗教を超えて、どの宗教にも根源的に共通するような、いわゆる普遍宗教のようなものである。そこにこそ「真の価値」と呼ぶべきものはあるのではないか。

 そんなことを考えながら大学で哲学を勉強していたとき、強く魅かれた思想家が3人いた。ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、そして鈴木大拙である。
 ハイデガーにおいて、それは「存在」というものであったろう。彼は「ある」とはどういうことかを、「現存在(人間)」の理解を手がかりに解明しようとしたのである。現象学という手法を用いて、人間という「現存在」の「存在了解」を手がかりに「存在」というものに迫ろうとした。特定の領域や対象ではなく、それらすべてを成り立たせている「ある」ということを問おうというのだから、これほど根源的な問いかけはないだろう。後に、いわゆる「ケーレ(転回)」というものが起きて、ハイデガーは存在了解という概念を捨てる。「存在」は人間の能動的な行為によって規定されるようなものではなく、むしろ「存在」の方が人間を規定していると考えたからである。
 「すべてに先立ってまず〈ある〉のは存在である。思考は、人間の本質へのこの存在の関わりを仕上げるのである。思考がこのかかわりを作り出したり惹き起こしたりするわけではない。思考はこの関わりを、存在からゆだねられたものとして、存在に捧げるだけのことである」。(『ヒューマニズムについて』)
 相変わらず何を言ってるんだかわかったようなわからないような文章だが、「存在」は人間のもとで起こる出来事なのだけれど、そのことに人間の力は及ばない、とハイデガーが考えているらしいことはわかる。

 意外なことに、このハイデガーのいわば神秘主義的ともいえる思想に、強い共感を示したのがウィトゲンシュタインだった。何が意外と言って、ウィトゲンシュタインはまるで正反対の立場とも思える論理実証主義や科学哲学の祖のように思われてきたからである。二人は、20世紀の哲学界を二分する天才だった。
「神秘的なのは、世界が『いかに』あるかではなく、世界がある『ということ』である」(『論理哲学論考』)
「私はハイデガーが存在と不安について考えていることを、十分に考えることができる。人間には、言語の限界に向かって突進しようという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚きを考えてみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、われわれは言語の限界に向かって突進するのだ」(1929年末、「シュリック家での談話、ハイデガーについて」)
 この発言にも現れているように、ウィトゲンシュタインは「語りうるもの」と「語りえぬもの」をはっきりと峻別し、語りえぬものについてはアプリオリに無意味であるから「沈黙しなければならない」と主張していた。
 では、ウィトゲンシュタインが「語りえぬもの」としていたのは何か。彼によればそれは「倫理的なるもの」であり「神秘的なるもの」であった。それは世界を超えており、いわば超越的であるため、言語では表現し得ないのである。
「命題は、より高きものを表現し得ない」(『論理哲学論考』)。
 では、倫理や神秘は存在しないのか。
 ここまでの発言を見ても、彼がそう思っていないのは明らかである。彼は、それを「語る(sagen)」ことはできないとしているが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできると考えていた。つまり、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だと信じていたのである。

 鈴木大拙に対する関心は、上の二人とは事情が異なっている。僕の家が曹洞宗の檀家だったもので、葬儀や法事の度にその禅寺に行っていた。若い住職がなかなかユニークな人で、説法もあんまり抹香くさくなく、また自ら筆を持って天井に仏画を描いたり、寺でライブを開いたりしていた。そんなわけで禅に興味を持ち、鈴木大拙の本を読み始めたらめちゃくちゃに面白かった。あるいは、西洋哲学を勉強する日本人の学生だった自分が、自らに関わる日本的なルーツを持ちたいという一種の補償的な心理が働いていたのかもしれない。
 禅はもちろん体を使った修行であるから、大学で教わっていた思索を通しての哲学とはまったく別なものである。言語を立てず(不立文字)ひたすら座禅すること(只管打座)によって、直覚的に「悟り」を目指していく。
 以上の理由から、僕は鈴木大拙の著作にハイデガーやウィトゲンシュタインと共通するものを感じていた。碩学・井筒俊彦が西洋哲学の「存在」と禅によって到達する「絶対無」の共通性について論じているのを知ったのは、ずっと後のことだった。やはりこれも後年のこととなるが、僕がオウム取材にはまって、2年近く彼らの中に入って体験修行をしたのもこの理由による。

 そんなわけで、この3人のうちの誰かを本格的に研究しようとした。当時僕の指導教授は木田元先生というハイデガー研究の日本での第一人者だったから、まずはハイデガーを研究するのが自然な道であったと思う。しかし僕はこのハイデガーというおっさんがどうしても好きになれなかった。偉そうに自分だけが何でも知ってますみたいな面をして、難解な専門用語を勝手に作ってはこねくり回し、挙句の果てには長い沈黙に入ってしまう。その思想の重大性はわかるのだが、いったい何様のつもりなんだろうと思っていた。
 では鈴木大拙はどうかというと、彼を本格的にやるなら参禅し、長い修行を経なければならない。ところが若い人間はとかくせっかちに結果を求める。とてもそんなまどろっこしい修行をやる気にはならない。
 この点で、一番明快でわかりやすく、歯切れがよかったのがウィトゲンシュタインだった。ラテン語だのギリシャ語だのもやらずにすむし(ハイデガーをやるならこれが必須になる)、英語の研究文献が多いのも魅力的だった。そこで僕は、卒論も修論もウィトゲンシュタインで書くことにした。

「ウィトゲンシュタイン―――『語りうるもの』と『語りえず示されるもの』」という僕の卒業論文は、ウィトゲンシュタインの「語る(sagen)」と「示す(zeigen)」という言葉の用法を徹底的に追ったものだった。その結果わかったのは、上述のように、ウィトゲンシュタインが、倫理や神秘といったものは、それを「語る(sagen)」ことはできないが、それと対比して「示す(zeigen)」ことはできる、と考えていたということだった。そこから彼は、およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示すことこそが、哲学の仕事だという結論に達したのである。
 この卒論を書きながら僕が考えていたのは、ひょっとしてノンフィクションを書くという作業は、「およそ語りうることを明確に語ることによって、語りえぬものを示す」という作業と言えるのではないか、ということだった。ノンフィクションが語るのは「事実」つまりウィトゲンシュタイン流に言えば「語りうるもの」であって「倫理」や「神秘」ではない。しかしそれを明確に書ききることで「語りえぬものを示す」ことができるのではないか。つまり、ノンフィクションを書くという作業によって、僕の求めている「真の価値」を示すことができるのではないか、と考えたのである。
 つまり「ノンフィクションを書く」という作業は、僕にとっては、こうした仮説に基づいた「哲学的実験」だったのである。
 この卒業論文を提出した後、僕は大学院入試にめでたく(?)合格し、修士課程に進むことになった。そして、本書の第1章にあるバイク事故を起こしたのは、その直後の春休みのことだったのである。

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 僕のこのささやかな実験は、案に反して社会的に高い評価をいただくことになり、あろうことか講談社ノンフィクション賞までもらってしまった。
 だが、僕にとってこの実験は「失敗」だった。
 自分にとってはベストを尽くして語り得ることを語り尽くしたはずなのに、「倫理」や「神秘的なもの」、そして「真の価値」というべきものは「示され」なかったからである。少なくても僕にとってはそうだった。そして、どうもこの方法ではだめらしい、と感じるようになっていた。
 以後、僕の関心は、もっとも身近な異界である「夢」に向かうこととなる。


 このあと、僕は結婚し、息子が生まれ、つまりは当たり前の日常を積み重ねることになる。残念ながら息子は昨年、まだ大学に在学中の、21歳の若さで死んでしまったが、こうした日常、特に子供を授かり、彼が育っていくその日常の中に、僕の求めていたものは当たり前のように存在した。
 つまりは、哲学的実験なんぞやる必要はなかったのである。普通に生きていればそれでよかったのだ。そのようなわけで、この作品は僕の青春期の、ひとつの試行錯誤の産物であったといえる。
 ところが、ある大学院生の、その試行錯誤の産物が、後の社会にさまざまな影響を与えていくのだから人生とは不思議なものである。
 まず、この本はエホバの証人の輸血拒否問題が起き(これがまたしょっちゅう起きた)、それが論じられる際の基本的な文献として認知されるようになった。
 本書でも述べたように、輸血拒否問題については信教の自由と生命の尊重の対立という大きな問題の対立が根底に横たわっており、さたにはインフォームドコンセントによる患者の自己決定権、そして治療に対する医師の裁量権、さらには患者が未成年である場合親権がどの程度まで及ぶのかなど、問題が複雑なだけにさまざまな議論が繰り返されることになった。ウィキペディアがまとめているだけでも次のごときである。

輸血拒否には、児童・高齢者・障害者の人権を保護するための「法的観点」、信教の自由、思想信条の自由などの「宗教的・思想的観点」などの面から議論や各立場からの主張がある。

 輸血拒否者が法律上の成人であり、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がある場合は、憲法で民主主義と人権の尊重を定めている国では本人の自己決定権が尊重されるので、輸血を拒否することも、その結果として死に至ることも、法律上の問題にはならない。

 国連総会では児童の権利に関する条約、障害者の権利に関する条約が採択され発効している。日本の国会では児童虐待の防止等に関する法律、高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律、障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が制定されている。それらの条約・法律では、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、ネグレクトの5種類の形態を暴力・虐待と定めて違法化し、刑罰を定めている。本人の意思に基づかない輸血拒否とその結果として患者が死に至ることは、身体的暴力またはネグレクトに該当するか、または刑法217条〜219条の保護責任者遺棄致死傷に該当する。患者が法律上の未成年者である場合、または患者が法律上の成人であっても精神の病気や障害が原因で、自己の身体の状況や治療方法を認識・理解し、治療方法の選択と意思表示の必要十分な能力がない場合は、患者の親・子・配偶者などの最も親等が近い家族が患者本人の自己決定権を代行して意思表示することになるが、親・子・配偶者による代理権の行使により、救命・回復が可能な患者を輸血拒否で死に至らせることが、児童・高齢者・障害者の権利保護の観点において許容されるのかが論争になっている。
 1985年に神奈川県川崎市で発生した、10歳の児童が自動車事故で両脚に複雑粉砕解放骨折の重傷を負って救急救命センターに搬送され、到着時に直ちに輸血を開始すれば救命可能な状態であったが、エホバの証人の信者である両親が輸血を拒否したので医師は輸血をできずに、結果として患者が死に至った事例は、当時の法律では不問にされたが、上記の条約や法律の制定により、条約の発効後、法律の施行後は、救命や回復が可能な患者を、患者の意思決定の代理人である家族がその宗教的・思想的な理由で輸血を拒否して死に至らせることは、上記の条約や法律に反する行為として処罰される可能性がある(法的な意味としては、親権者・養育権者・介護者・監護者の全面的な保護が必要である乳幼児や重度障害者を長期間放置して餓死させたなどの行為と同等になる)。

 以上のように、作者の当時の認識を超えてこんがらがった事件であったため、医療側、つまり各病院は各々のガイドラインを作って対応するようになった。そして2008年、事件からなんと23年後に、ようやく統括的なガイドラインの素案ができる。


 未成年者の治療に対する家族からの輸血拒否についてどのように対応するかということについて、2008年、医療関連学会五つからなる合同委員会(日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会、座長大戸斉・福島県立医科大学教授)は以下の素案をまとめた。

・義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思に関わらず、また信者である親が拒否しても「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は親権の乱用に当たる」として輸血を行う。

・15歳から17歳の患者については、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、本人が希望して親が拒否したり逆に信者である本人が拒み親が希望したりした場合などは輸血を行う。

 このガイドラインが本当に適切なものなのかは、正直なところ僕にもよくわからない。ただし、この素案に従い、2008年の夏に、一歳の赤ちゃんへの輸血を両親が拒否したことに対し、病院と児童相談所、そして家庭裁判所が連携して両親の親権を停止させ、赤ちゃんの命を救けたことがあるという。このことを知って、僕は自分のバカで若かった時代の試行錯誤が決して無駄ではなかったのだと改めて思った。
『説得』を書いたころ、僕は独身で子どもはいなかった。しかし、子どもを授かり、ともに生き、そしてその子どもをなくした人間としてつくづく思う。
 子どもの命は、いや、すべての人の命は、たかがこの数千年の間に人間がこねくり回して作り上げた「宗教」をはるかに超えているのだ。
 ありきたりな結論で大変申し訳ないのだが、僕の想いはこの作品を書いた大学院生のころと変わっていない。

 
大の心臓の鼓動は、止まるべきではなかったのだ。たとえ何があったとしても。

※本書「文庫版あとがき」より抜粋

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文庫 説得 エホバの証人と輸血拒否事件 (草思社文庫) : 大泉 実成 : 本 : Amazon

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「べらんめい」は関西からやってきた  『江戸前魚食大全』(冨岡一成著)より

食文化 民俗・風習

 江戸っ子の特徴に「べらんめい」言葉というものがございます。これは「べらぼう-め」の訛ったものですが、江戸っ子がさかんに振り回した「べらぼう」とはどんなものだったのでしょうか。実はこれ、寛文年間に大坂道頓堀の見世物に「べら坊」という猿そっくりの異形の者がかけられて大当たりしたことから、「人とは見えぬ者」を「べらぼう」と言ったのが語源のようです。
 なんとも江戸っ子らしい言い回しが実は関西からやってきたのは不思議な感じがいたしますが、実は江戸前文化の多くが当時先進的であった関西から移入されたのでございます。たとえば食であれば、鰻料理や天ぷらは江戸で洗練をみますが、もとの形はすでに関西にございましたし、そもそも江戸前漁業も関西からの出漁者によって形づくられたのでございます。とくに江戸時代初期は文化、経済両面においてまったくの西高東低で、江戸は関西文化圏の影響をきわめて強く受けておりました。
 それが世代を重ねると、借り物の文化も次第に江戸風なものに練れてまいります。そうして一八世紀の半ば頃になると、いわゆる「べらんめい」な江戸っ子の登場とあいなりました。そういうわけで、「お江戸」「江戸前」の成立には関西文化が大きくかかわっていると申してもよいかと思われます。
 ただし、江戸っ子には上方町人と大きく異なる状況がございました。それは幕府の御膝元に居住することで、絶大な権力を常に目の当たりにしたこと。そこに芽生えた反発心、反骨精神というものが、関西にない独自の文化を育んでまいります。
 今回は『江戸前魚食大全――日本人がとてつもなくうまい魚料理にたどりつくまで』より、江戸前文化の精神性について紹介します。

 江戸は武家の都であり、商人や職人の生活は、武家の消費活動に寄生することで成立していた。朝、目が覚めて引き窓にみるのは御城であり、天下の大道を闊歩するのは二本差しだ。支配者層の存在をつねに感じないわけにはいかない。そこに決して勝つことのできない権力への対抗心が生まれた。初鰹にあり金をはたく心もちなどは、カツオを「勝男」と珍重する武士らを差し置いて食う、その反骨精神をみのがしては、なかなか理解できるものではない。
江戸の町人が武士を相手に張り合うことのできたのは、吉原と歌舞伎、それと食べることくらいだ。遊里に精通することから「通」がうまれ、武士は「野暮」とされた。市川団十郎演じる助六が河東節(かとうぶし)にのって踊り、啖呵(たんか) を切り、悪態を尽くす姿に、江戸っ子の「いき」と「はり」が体現された。かれらは身分では決してかなわない相手に対し、独自の価値観と美意識で対抗する。そして食べ物に惜しげもなく銭を使うのだ。それは江戸っ子が食にみせた「はり」であったのだろう。
 たとえカラ元気であっても、威勢の良さ──きおいを自負するのが江戸っ子だ。真に江戸っ子たる者がどれほどいたのか知れないが、その姿こそ江戸の町人らの心情を映し出すものであったろう。鼻っ柱は強い。しかし、結局は権力に勝てないのだ。それを知った上で、泣き笑いしてみせるのが江戸っ子のメンタリティといえる。そのような精神に育まれて、江戸時代後期の文化文政期(一八〇四‒三〇)に化政文化が花開いた。その特徴は江戸を中心とした町人文化なのである。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のような滑稽物や当代の風俗を描く錦絵、また、社会風刺的な言葉遊びの強い川柳など、この時代を代表する文化は江戸の町人のあいだから出てきた。その萌芽はすでに宝暦から天明期(一七五一‒八九)にあらわれてくる。そこで、おおよそ一八世紀後半に江戸の町人たちの生き方からうまれた価値観というのが、第四の江戸前の意味するところだと思う。
 魚のなかにも江戸っ子好みがあった。概してさっぱりとした風味を好む。濃厚な赤身よりも淡白な白身のほうが好きである。マグロは下魚。あの赤身が黒ずむのはいただけない。脂身(トロ)などもちろん捨ててしまう。それから大型の魚よりも小魚が良い。コハダのすしなど実に粋なものである。脂がのった旬のものもいいが、それよりも初物がよほど珍重された。そして山葵(わさび)の刺激的な風味といったら、まるで江戸っ子好みである。こういうのが江戸の魚食いの形だったようだ。
 そこにはっきりと基準があるわけでない。熟成よりも若い味を好むとか、肉厚よりも身の締まった小魚がいいなんて、本当にそのほうがうまいのかもわからない。極端にいえば、うまく食うのを我慢しても、形良く食おうとしたのでは、と思えるふしがある。蕎麦の食べ方とか、熱い風呂が好きだというのと相通じるのではないか。風味を感じるために蕎麦をつゆに浸さない。次に入る人への配慮から湯はうめない。確かに理由はそうなのだが、そんなことはどうでもよくて、要するに恰好よくキメることが重要であるのだ。
 魚食には、とりわけ江戸っ子の美意識が反映されているように思うのだが、どうだろう。

 実は「恰好よい」という言葉も関西からきたもので、江戸では「容子(ようす)がよい」と申しました。今はつかわれなくなりましたが、なかなか品のある言葉ではありませんか。「貴方だって、いい服装(なり)をすれば容子がいいんだから」と言うと、とても褒めている感じがいたしますし、「あの英国人ロッカーはなかなか容子がいいねえ」なんて、ちょっと粋な風情の、ロックミュージックに寄席音曲の息吹を感じて好もしい気がいたします。

 『江戸前魚食大全』では、江戸前な価値観、魚食いを自負する江戸っ子のメンタリティについても言及しております。ぜひ手に取ってご覧ください。

(筆者/冨岡一成)

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ただ触れ合い、寄りそうだけでいい。相手を癒すことで自分が癒される。 ――人は皮膚から癒される

生活・実用

人は皮膚から癒される

山口創 著

◆不調、ストレスの原因は「触れ合い」不足にあった!

 悲しみに沈んでいるとき、困難に打ちひしがれているとき、ただそばに寄りそってくれる人がいるだけで勇気づけられたことはありませんか? 実は皮膚は、直接触れ合わなくても親密な人が近くにいるだけで相手を感じ、癒しに向けた治癒力を発揮することがわかっています。今、認知症ケアで注目されているユマニチュードの手法においても、患者に「寄りそい、見つめ、話す」行為が直接「触れる」ことと同じように重要視され、病状改善に目覚ましい効果を上げているといいます。

 本書では、直接触れ合うことや、そばに寄りそうといった、親しい人との触れ合いや関わりが、いかに病気やストレスを軽減し、生きづらさや抑うつを防ぎ、幸福感を高め、元気を回復させるのかを明らかにするものです。

◆相手を癒すことで自分が癒される、幸福に生きるための究極のメソッド

 興味深いことに、相手を癒してあげようとするマッサージなどの触れる行為が、実は自分を癒すことにつながることが著者たちの実験で明らかになりました。触れることにより互いの脳内ではオキシトシンという深いリラックス感をもたらし、ストレスを癒す働きをするホルモンが分泌されるのですが、その分泌量を調べてみると、マッサージの受け手よりも施術する側のほうが多く分泌されていたのです。
 相手を癒すことで自分が癒される――、これは原因不明の不調やストレスに悩まされ続ける現代人にとって、癒しを取り戻す大きなヒントになるのではないか、と著者は指摘します。
 さらに、本書ではユマニチュードをはじめ、セラピューティック・ケア、タクティールケアなど医療や介護の現場で注目されている「触れるケア」の効能についても検証します。実際に自分一人でも始められる皮膚から元気になる方法も数多く提案していきます。
ぜひ多くの方に読んでいただきたい一冊となっております。

(担当/吉田)

本書の目次から
触れなくても肌は感じている/ストレスを癒す身体のメカニズム/自尊感情が低い人ほど有効なタッチ/パートナーの有無による心理の変化/皮膚が他者を判断していた/失われた皮膚の交流/なぜ日本人は対人関係に悩むのか/抱きしめ細胞の存在/生きづらさの原因は皮膚が閉ざされているから?/境界が拓かれることで人は癒される/「人の手」で触れる意味/人間関係を改善する皮膚コミュニケーション/皮膚を拓いて、元気な自分を取り戻す…etc

著者略歴

山口創(やまぐち・はじめ)

1967年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。専攻は健康心理学・身体心理学。桜美林大学教授。臨床発達心理士。「手当て」としてスキンシップケアの効果やオキシトシンについて研究している。主な著書に『手の治癒力』(草思社)、『子供の「脳」は肌にある』(光文社新書)、『幸せになる脳はだっこで育つ。』(廣済堂出版)など多数。

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Amazon:人は皮膚から癒される:山口創 著

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旧約聖書はキリスト教とユダヤ教とイスラム教の聖典なのだ  ――声に出して読みたい旧約聖書<文語訳>

声に出して読みたい旧約聖書<文語訳>

齋藤孝 著

 いま世界は一神教同士の戦いで紛糾している。
 旧約聖書は新約聖書と対になるキリスト教の聖典と受け取られているが、実はユダヤ教の聖典でもあり、イスラム教の聖典(啓典とも言う)の一つでもある。世界の大宗教の源流となっているだけでなく、十字軍以来何かと火種となっているキリスト教とイスラム教の対立が同じルーツから出ていることがわかる。どうも互いに相手を認めない一神教の苛烈さがテロなどの騒動の一因ともなっているらしい。
 日本というある種ぬるま湯的環境にいてはわからない対立の厳しさは旧約聖書を読むことで少しは理解できるようになるだろうか。
 確かにこの文書は人類の最も古い記録文書の一つであり、ひどい苦しみを生き延びてきた民族の歴史である。ユダヤ民族の苦難の歴史を書き留めたさまざまな文書から構成され、紀元前400年頃に成立したと言われるが、それ以前、天地創造から始まる2500年間ぐらいの歴史がつづられている。
 神によって理不尽とも言える試練を与えられながら、戒律によって神と契約を結び、聖地エルサレムへ帰還を果たすユダヤ民族。大洪水に遭ったり(ノアの箱舟)、大火災に遭ったり(ソドムとゴモラ)、奴隷として連行されたり(バビロン捕囚)、これでもかこれでもかというぐらい、まことに悲惨で不条理な神による試練の連続である。
 これを読んでいると、なぜか現代の不条理さも少しは納得できるような気になってくるから不思議である。残酷で意味のないことに耐えるということが人間の要諦なのだということらしい。本書は長くて読みにくい、旧約聖書を理解するために、著者が巧みにダイジェストした絵入り、図入りの便利な本としておすすめしたい。

(担当/木谷)

著者紹介

齋藤孝(さいとう・たかし)

1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『宮沢賢治という身体』(世織書房、宮沢賢治賞奨励賞)、『身体感覚を取り戻す』(日本放送出版協会、新潮学芸賞)、2001年刊行『声に出して読みたい日本語』(草思社、毎日出版文化賞特別賞)は続篇(第6巻まで刊行)、関連書をあわせて260万部を超えるベストセラーとなっている。「声に出して読みたい日本語」の古典教養シリーズに『論語』『親鸞』『志士の言葉』『古事記』『新約聖書〈文語訳〉』『禅の言葉』がある。近著に、『雑談力が上がる話し方』(ダイヤモンド社)、『語彙力こそが教養である』 (角川新書)など多数。

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