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【立ち読み用公開】「自然」という幻想 ――多自然ガーデニングによる新しい自然保護(エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳)

「自然」という幻想
――多自然ガーデニングによる新しい自然保護
エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳

 

従来の自然保護が、人間の影響を排除して「過去の自然」を取り戻すことや「手つかずの自然」を守ることばかりに固執してきたことを批判し、もっと多様で現実的な目標を設定する自然保護のあり方を提案する本書『「自然」という幻想』。その冒頭部分を無料公開します。

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

 

 

第1章 自然を「もとの姿に戻す」ことは可能か

●自然は「遠きにありて思うもの」ではないはずだ

 過去300年で、私たちは多くの自然を失った。「失う」という言葉の持つ2つの意味でだ。まず、多くの自然が破壊されたという意味で、私たちは自然を失った。森は住居になった。小川は、暗渠と駐車場になった。リョコウバトも、ステラーカイギュウも消えて、博物館の薄暗いギャラリーの毛皮と骨格標本になった。そして私たちは、もう一つ別の意味でも自然を失った。私たちは自然のありかを見失った。私たちは、私たち自身から、自然を引き離し、見失ってしまったのである。 私たちが間違ったのは、自然は、「私たちと離れたところに」、どこか「遠く」にあると考えるようになったからだ。私たちはテレビで自然を見る。豪華な雑誌で自然を読む。私たちが思い描く場所は、どこか遠く、束縛のない野生、住民も道路もフェンスも電線もない、手つかずの、季節の変化のほかは変わることのないような場所なのだ。手つかずの野生=ウィルダネス[wilderness]という夢想が私たちに襲い掛かる。そして私たちは自然について盲目になる。

 生態学者の多くは、発見できたもっとも手つかずの場所を研究の地として、生涯を送る。保全活動家の多くは、ウィルダネスの領域を変化させまいと全力を尽くし、生涯を送る。私たちは、「原生林」の断片に、最後の「偉大な自然地」に、どこよりも希少な「手つかずの生態系」にしがみつくのだが、それらはどれも、私たちの手元から消えてゆく。石鹸の小片のように、どれも小さくなって、消えてゆく。私たちは嘆く。いつも嘆いている。守るべき場所を増加させることなどできないからだ。それらはどれも、年ごとに、衰退してゆくばかりである。

 本書は自然への新しい見方がテーマだ。慎重に管理されている国立公園も、広大な北方林も、無人の北極の地も、自然である。しかしあなたの庭の野鳥も、マンハッタンの五番街をぶんぶん飛ぶミツバチたちも、植林地で列をなすマツも、都市河川の川辺のブラックベリーやバタフライブッシュも、道端のニワウルシも、畑を駆け抜けるウズラも、雑草と藪に覆われてヘビやネズミの徘徊する放棄された畑も、「侵略種」と名指しされる植物が鬱蒼と茂るジャングルも、見事にデザインされたランドスケープガーデンも、緑化屋根も、高速道路の中央分離帯も、アマゾンの奥深くに抱かれた500年の歴史を持つ果樹園も、そして、ゴミ捨て場から芽を出したアボカドの木も、自然なのだ。

 自然はいたるところにある。しかし、どこにあるとしても必ず共通する特徴がある。「手つかずのものはない」、ということだ。いま現在、地球という惑星に、手つかずのウィルダネスは存在しない。私たちは、住み場所とする景域=ランドスケープ[landscape]を、過去数千年にわたって変化させてきた。いまやその範囲は文字通り地球全体に広がっている。深呼吸してみよう。あなたの吸い込んだ空気には、1750年の吸気に比べて36パーセントも多い二酸化炭素が含まれている。もとに戻ることはないのだ。以下の話題は、とりわけ、象徴的といえるかもしれない。廃棄された郊外の住宅にボブキャットの家族が暮らすようになった。人の気配があるとクマに襲われにくいのでイエローストーンのアメリカヘラジカは道路の脇で出産するようになった。車の複雑なクラクション音に反応してフルにさえずる野鳥たちがいる。もちろん、もっと重大なのは、気候変動のような地球規模の現象であり、生物種の移動であり、大地の大規模な改変である。

 認めるか否かにかかわらず、私たちはすでに地球全体を管理しはじめている。意識的、効率的に管理を進めるために、私たちは、自らの役割を認め、引き受けてゆかなければならないのである。私たちは、手つかずのウィルダネスへのロマンチックな思いを抑え、私たちの手で世話をすべき地球大の多自然ガーデン[rambunctious garden]という、もっと豊かな含意のある思いに、心を開く必要があるのだ。

 公園や保護地域だけが多自然ガーデンなのではない。ありとあらゆる場所が多自然ガーデンだ。公園でも、農地でも、パーキングやファストフードショップの敷地でも、あなたの家の庭でも屋根でも、環状交差点の緑地でも、自然保護を進めることができる。多自然ガーデンは行動的で楽観的だ。残された自然地を壁で囲むばかりでなく、どんどん自然を創出してゆくのだ。

 多くの保護論者が自然の定義を見直すことに心開きはじめて、「手つかずのウィルダネス」という慣れ親しんだ目標を超越した、ありとあらゆる目標をすべて受け入れるようになりつつある。実践にあたって彼らは、後の章で紹介するような新しいツールやアプローチを自在に採用できることに気づく。試して見ると、そもそも彼らを自然保護の領域に踏み込ませるきっかけとなったさまざまな価値が、そこでもしっかり重要性を維持していることがわかってくる。生存闘争に参加する種が、在来種ばかりでなくても、進化の進行を尊重することはできる。土壌形成や雨水浸透などの生態学的な過程を保護することもできる。生物多様性が本来の地でない場所で確認されても、それに驚異を感じ、その保全のために戦うこともできる。人の影響が見えても、そこに自然の美を見出すことも可能だ。その気になれば、裏庭に至高なるものを見ることもできるのである。

 

●自然を「過去の状態に戻す」ことの矛盾

 しかし、自然に関する私たちの思いを変えることは簡単ではない。あなたにとっても、私にとっても。ウィルダネスを研究し守ることに人生をかけてきた人々にとっては、とんでもなくつらいことになるのだろう。何が自然なのか、守られるべきものは何なのか、という問いに直面すると、感情を脇におく訓練を積んできたはずの科学者たちが、もっとも感情的になり頑固になることもしばしばなのだ。

 自然の概念を拡張することに関心のあるものも、問題に突き当たる。定常的で、手つかずのウィルダネスがあらゆる景域の理想だとする考えが、とくにアメリカ合衆国では、生態学や自然保護の領域に深くおりこまれてきた。たとえば、「基準となる過去の自然[baseline]」という観念がある。環境変化にかかわる研究のほとんどが、基準となる過去の自然という考え方を前提とし、利用している。基準となる過去の自然は、準拠すべきとされる状態、典型的には過去のある時点における状態であり、マイナスの変化が起こる前のゼロ点とされる。アメリカ大陸では、ある地域の基準となる過去の自然は、ヨーロッパ人が到来する以前の自然とされるのが普通だった。しかし、オーストラリアから南北アメリカにいたるまで、各地の先住民たちが周囲の環境をさまざまに改変したことがわかってきた現在、そもそも人類が到達する以前のアメリカの自然を過去の基準とすべきという議論もある。多くの自然保護者にとって、アメリカの自然を、人類到達前、あるいはヨーロッパ人到達以前に戻すことは、傷つき、病んだ大地をいやすことだと、受け取られている。自然を壊したのはわれわれだ。だからわれわれがもとに戻さなければならない。かくして、基準となる自然は、自然の現在、過去を比較する科学的な装置ではなくなるのだ。それは、善なるものであり、目的であり、唯一の正しい状態とされるのだ。

 この方式にそって地域再生や公園管理をめざす自然保護者は、まず、基準とする過去の自然を決めなければならない。次いで対象地域のその時点の特徴を見極める。どんな種類の生物が、どんな割合で生息していたのか。川はどこを流れていたか。深さ、幅、流速はどうだったか。水際線はどこにあったか。土の特性はどうか。基準とする過去の時点とそのときの地域の特性を絞れたら、地域を過去の状態に戻す大仕事に着手しなければならないのだ。除去される生物種があり、再導入される生物種もある。河川の工事が進み、土の島が配置され、一部の甲虫たちの腐食質の生息環境を用意するために樹木が伐採されることもある、等々。

 しかし生態系は移ろいやすい。基準となる過去時点の自然を決めるのは、簡単ではない。たとえばハワイ諸島の例がある。世界でもっとも僻地にある島々。数百種にのぼる固有種の多くは希少種で、絶滅の危機にある。以前の生態学者たちなら、この群島について基準とすべき過去を、ジェームス・クック船長がハワイ島に上陸した1778年にしたかもしれない。しかし、ハワイ諸島の自然を1777年以前の状態に戻すというのは、少なくとも当地にすでに1000年は暮らしていたポリネシア人たちが大規模に改変していた自然の状態に戻すということになる。それは、ポリネシア人たちが導入したタロイモ、サトウキビ、豚、鶏、ネズミなどが生息し、入植以来すでに少なく とも50種の鳥が狩猟によって絶滅していた、半ば人工化された景域なのだ。

 人類がまだ到達していなかった数万年前に基準点を移す選択をすると、そこでもまた別の問題に直面する。人間が関与しようがしまいが、生態系はつねに変化する。樹齢数千年の森林は、私たちから見れば時間を超越しているように感じられるかもしれない。私たち人類は、寿命の短い動物で、自分たちの世代時間の数倍を超えるような時間スケールを把握するのがまことに不得手なのだ。しかし、地質学者や古生物学者の視点からすれば、生態系は不断の舞踏状況にある。構成種は競合し、対抗し、進化し、移動し、新たな生物群集を形成し続ける。地質の変動、進化、気候サイクル、野火、暴風、そして変動する個体群。自然はつねに変化するのだ。ハワイでは、どの地点であれ、大地は数百年に一度、噴火活動でまっさらにされる。海を越え、風に乗って島々にたどり着く生物が新しい生息地に適応し、島々の生態系のなかに自分たちの場所を見つけてゆくのだ。

 そんな時間の流れのなかで、任意の時間を特定してしまえば、その都度新たな問題が発生する。花粉化石の記録から、樹木の年輪に刻まれた気候の記録まで、過去を探るのに利用できるあらゆる科学的な手法を駆使したとしても、1000年どころか100年単位の過去において、地域がどんな様相だったのか、明らかにはしきれないのである。

 人間の関与する以前の基準となる自然を決めることに関して、最終的でもっとも困惑する事情は、野生地の管理や再生作業そのものによって、それが、今後ますます難しくなるということだろう。最大級の国立公園の最深部から、地域の大規模商業施設の裏の雑草地にいたるまで、生態系はすべて人の手が及んでいる。私たちは地球のいたるところで自然のるつぼを攪乱している。さまざまな種を移動させている。地球の温度を上昇させている。多数の動植物を家畜化・栽培植物化している。そしてさらに多数の種を絶滅に追いやっている。私たちは文字通り地球全体を改変している。どの地点であれ、その変化をもとに戻すことは、ますます困難になっているのである。

 

●世界の絶滅首都=ハワイで移入種を除去したら……

 問題の大きさに私が最初に直面したのは2009年、ハワイを訪問したときのことだ。ホテルの窓の外の熱帯樹は素晴らしい眺めだったが、そのなかには、人為的に導入され、いまや在来種にとって脅威と考えられている樹種がたくさんあることを私は知っていたのである。ハワイが、「世界の絶滅首都」と呼ばれていることも、当地の美しい野鳥のなかに、絶滅し、また絶滅に瀕している種が多数いることも承知していた。『セントルイス・ポストディスパッチ』誌のレポータの表現によれば、ハワイは、「合衆国最大の生態学的な災厄」だが、にもかかわらず、ハワイ諸島は、過去のハワイの自然の回復をあきらめない多数の自然保護活動家で、賑わっているのである。

 最初に訪問したのは、ハワイ島東部で、低地林の回復可能性をテストしている実験区画だった。実験区画は、ハワイ州の国家陸軍警備隊のケアウカハ基地の森のなかにあった。このタイプの森林は、降水量の多い低地に広がっていたため、そのほとんどが農業のために伐採されてしまっていた。かろうじて残った森、あるいは再生した森に優占するのは、ハワイ島の外に由来する種類だった。

 ハワイ大学ヒロ校のレベッカ・オステルターグの説明によれば、ハワイ諸島に侵入種がはびこりやすいのは、3000万年にわたって隔離され進化してきたハワイの植物は、競争の厳しい大陸で進化した侵入種に比べて、成長が遅く、栄養の摂取効率も悪いからだという。同様に、ハワイ在来の鳥やその他の動物たちも、移入種に対抗する力はないというのである。鳥マラリアで絶滅した在来の野鳥も多い。最近までハワイにヤブ蚊はいなかったので、ハワイの野鳥たちは、ヤブ蚊の媒介する病気への耐性を進化させなかったのだ。ハワイのラスベリーやバラは棘がない。ハワイ産のハッカ類は、ハッカの香りのする防衛物質を欠いている。防衛対象とすべき、草食性の哺乳類がいなかったからだ。そんなやわな在来種は、本土から人の持ち込むもっと強い種にやられてしまうのである。現在、ハワイ諸島に知られる植物種の半数が、外来種といわれている。多くの低地林において、在来種は、巨木ばかりである。樹冠の下には、外来種の実生が一面に広がって、在来種の巨木が倒壊する日を待っている。そのような場所を、「生ける屍の森」と呼ぶ生態学者もいるのである。

 

目 次

第1章 自然を「もとの姿に戻す」ことは可能か
自然は「遠きにありて思うもの」ではないはずだ
自然を「過去の状態に戻す」ことの矛盾
世界の絶滅首都=ハワイで移入種を除去したら……
ハワイでも問題となる「基準となる過去の自然」
過去を取り戻すための、オーストラリアでの驚くべき苦闘
古い「教義」から自由になりはじめた生態学者たち

第2章 「手つかずの自然」を崇拝する文化の来歴
イエローストーンが「母なる公園」と呼ばれる理由
ウィルダネスの征服の時代――1860年代まで
自然保護運動家ミューアの時代――1860年代以降
「ウィルダネス崇拝」のはじまり――1890年代以降
「ウィルダネス崇拝」の先鋭化と強大な影響力
人間を排除すれば、自然は安定するのか
生態学の理論は現実に合わなかった
自然の変化の激しさは生物も対応できないほど
変化するイエローストーンをどう管理するか

第3章 「原始の森」という幻想
ウィルダネスの聖地・ビアロウィエージャ
実はビアロウィエージャは「手つかず」ではない
ビアロウィエージャには現在も人の手が入り続けている
先住民族が多くの大型動物を絶滅に追い込んだ
先住民族はその後も環境に影響を与え続けた
生態学や自然保護運動はなぜ人間を排除したのか
環境活動家はウィルダネスをどう考えているか
ビアロウィエージャの自然はさらに改善できる?

第4章 再野生化で自然を増やせ
オランダの干拓地で太古の草原を再現する
「更新世再野生化」とは何か
北米の更新世再野生化計画に対する賛否両論
アメリカに大型動物を導入するのは本当に問題か
過去を指向しながら新しい生態系を創出する
再野生化で太古のヨーロッパの姿を明らかにする
「人工的な野生」で自然を増やす

第5章 温暖化による生物の移動を手伝う
温暖化に適応する生物の移動は間に合うか
動植物は実際に極方向や高地へ移動している
生物の移動に手を貸すことを躊躇する研究者たち
タブーに挑み、立ち上った市民ナチュラリスト
人による移転という考えを生態学者が認めはじめた
「管理移転」は既成事実化しつつあり止められない
管理移転の指針作りのための実験は意外に困難
ここでも「手つかずの自然はない」ことが問題に
温暖化に対応した最適の植林パターンを探す実験
林業関係者が戦慄した気候予測地図
営利活動による管理移転計画への賛否両論

第6章 外来種を好きになる
外来種は必ず生態系を崩壊させるか
外来種とそれに対する人間の対応の歴史
外来種駆除の現場では何が行われているか
外来種は生態系の不安定化・多様性低下の原因か
従来の「侵入生物学」に異を唱える生態学者
外来種と交雑する「遺伝子汚染」をどう考えるか
画一的な外来種駆除が無意味なら、何をすべきか
外来種を利用しはじめた自然保護論者たち

第7章 外来種の交じった生態系の利点
外来種でできた生態系を持つ島
外来種が在来種より優れている場合がある
「新しい」生態系は生産性も多様性も高く健全かもしれない
はびこる外来種も時間とともに沈静化する
「新しい」生態系が覆う面積は地球の何割か
有用な「新しい」生態系の外来種を除去すべきか
「新しい」生態系の変化を研究すべきだ

第8章 生態系の回復か、設計か?
「川」は人工物であるという発見
生態系を回復するのでなく目的に合わせ設計する
生態系を「設計」する必要があるのはどんなときか
デザイナー生態系とウィルダネスと多自然ガーデン

第9章 どこでだって自然保護はできる
重金属に汚染された川の改善の未来像
あらゆる方法で自然を増やし改善すべきだ
自然回廊で保全地域同士をつなぎ合わせる
減税措置などで農業者も保全活動に巻き込む
農業と自然保護の最適解を求める試み
工業地域や高速道路にも自然は増やせる
狭い庭やバルコニーの小さな自然も有意義
散水も肥料も少なくてすむ野生の庭・在来種の庭
造園家が温暖化適応策にかんする情報提供者に
近くの自然を発見し、近くに自然を受け入れる

第10章 自然保護はこれから何をめざせばいいか
「昔に戻す」以外の自然保護の目標を議論する
目標1――人間以外の生物の権利を守ろう
目標2――カリスマ的な大型生物を守ろう
目標3――絶滅率を下げよう
目標4――遺伝的な多様性を守ろう
目標5――生物多様性を定義し、守ろう
目標6――生態系サービスを最大化しよう
目標7――精神的、審美的な自然体験を守ろう
多様な目標を土地ごとに設定しコストも考慮しよう

 

★以下のリンクで、本書の「訳者あとがき」をご覧になれます。

honz.jp

★以下の紹介文もごらんください。

soshishablog.hatenablog.com

著者紹介

エマ・マリス

サイエンスライター。自然、人々、食べ物、言語、書籍、映画などについて執筆。数年間記者として勤務していたネイチャー誌のほか、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムス、ワイヤード、グリスト、スレート、オンアースなどの雑誌・新聞に寄稿している。ワシントン州シアトル出身、オレゴン州クラマスフォールズ在住。

訳者紹介

岸由二(きし・ゆうじ)

慶應義塾大学名誉教授。生態学専攻。NPO法人代表として、鶴見川流域や神奈川県三浦市小網代の谷で〈流域思考〉の都市再生・環境保全を推進。著書に『自然へのまなざし』(紀伊國屋書店)『リバーネーム』(リトル・モア)『「奇跡の自然」の守りかた』(ちくまプリマー新書)など。訳書にドーキンス『利己的な遺伝子』(共訳、紀伊國屋書店)ウィルソン『人間の本性について』(ちくま学芸文庫)ソベル『足もとの自然から始めよう』(日経BP)など。国土交通省河川分科会、鶴見川流域水委員会委員。

小宮繁(こみや・しげる)

 慶應義塾大学理工学部講師。慶應義塾大学文学研究科博士課程単位取得退学(英米文学専攻)。専門は20世紀イギリス文学。1989~91年、ケンブリッジ大学訪問講師。2012年3月より、慶應義塾大学日吉キャンパスにおいて、雑木林再生・水循環回復に取り組む非営利団体、日吉丸の会の代表をつとめている。訳書にステージャ『10万年の未来地球史』(岸由二監修、日経BP)。

 

 
「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

「自然」という幻想: 多自然ガーデニングによる新しい自然保護

 

【近刊予告】『操られる民主主義―デジタル・テクノロジーが社会を破壊する』が9月刊行!

『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーが社会を破壊する』

原題:The People vs Tech――How the Internet is Killing Democracy (and How We Save It)
ジェイミー・バートレット著 秋山勝訳 四六判 並製 288頁(予定)

インターネットは「自由な世界」をもたらす……本当か?
いや、むしろ自由な判断を奪い、怒りを増幅し、社会を分断し、
いままさに「民主主義」社会の根幹を破壊しはじめている!

デジタルテクノロジーの急激な進化が世界を変えつつある。だがそれは好ましい変化ではない。データ分析が人間の自由意思を操作し、選挙の公正性が危うくなり、人びとを感情で結びつけて細分化し孤立させ、社会の経済格差は加速の一途をたどり、一部の超大企業がすべてを独占、テクノロジーが進化すればするほど世界の不均衡は増大していく。いま何が起こっているのか? どうすれば乗り越えられる? データ・テクノロジーの専門家が詳細に分析し処方箋を示す。

 

【内容より】
インターネットは人間の感情を限りなく増幅させる
ネットによって世界は対立する「部族」に分断される
アンケートへの回答がビッグデータに吸い込まれる。
自分以上に自分のこと詳細に知っているものたち
マイクロターゲティングが消費行動を支配する
トランプとプーチンとケンブリッジ・アナリティカ
フェイスブックの投稿が有権者の行動を左右した?
テクノロジーを押さえた超大企業が世界を独占する
AIは新たな雇用を創出し大量の雇用を喪失させる

 

【目次より】(仮)
第1章 新しき監視社会
第2章「部族」化する世界
第3章 ビッグデータと選挙
第4章 加速する断絶社会
第5章 独占される世界
第6章 暗号に守られる世界
エピローグ 民主主義を救う20のアイデア


ジェイミー・バートレット(Jamie Bartlett)
シンクタンク「デモス(Demos)」ソーシャルメディア分析センターのディレクター。ジャーナリスト。オンライン上の社会運動やテクノロジー、ビッグデータの調査手法の研究を専門とする。著書にOrwell versus the Terrorists(2015)、Radicals Chasing Utopia(2017)など。2018年にはBBCでシリーズ「シリコンバレーの秘密」を担当。

ワシントンハイツの中の野球場から生まれたジャニーズ『新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図』赤岩州五 著

新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図

赤岩州五 著

 2020年の東京オリンピックを控えて、会場の建設がようやく進みつつある。選手村の建設は東京湾の晴海あたりに高層ビルとして作られるようだが、かつて前回の1964年オリンピック時には今の代々木公園が選手村としてあてられていた。ここは戦前には代々木練兵場で軍の施設だったが、戦後は占領軍の家族等の住宅地になり、日本人オフリミットの場所だった。ワシントンハイツという名で戦後ずっと、オリンピック直前の1961年ぐらいまで接収されていた。学校、プール、ゴルフ練習場、野球場、ホールなどを備えた豊かで洗練された別天地であり、厳重な警戒で守られていた。
 このワシントンハイツの野球場で許されて野球をやっていた渋谷周辺の少年野球チームが「ジャニーズ」である。アメリカ大使館に勤める軍属のジャニー喜多川が小中学生たちを集めて野球をやっていたのである。朝鮮戦争でも通訳官をやっていたというジャニー喜多川(日本名喜多川擴)が米軍との関係を利用して野球場を使わせてもらっていたのである。ちなみにジャニーという呼び名は本来ならジョニーであるが、アメリカ訛り風に読むとジャニーである。当時『大砂塵』(原題ジャニーギター)という映画がペギー・リーの歌とともにヒットしたが、歌のタイトルも映画も「ジャニーギター」と呼ばれていた。「ジャニー」のほうがかっこいい呼び方だったのだ。
 少年野球チームの監督という立場が曲者で、そこから発展して今の芸能事務所「ジャニーズ」が生まれ、現在一大隆盛を極めている。1963年公開の映画『ウエストサイド物語』を少年たちと見に行ったことがきっかけで、初代ジャニーズ「あおい輝彦、飯野おさみ、真家ひろみ、中谷良」が誕生した。最後の中谷良がのちに『ジャニーズの逆襲』というジャニー喜多川氏の性癖をあばいた暴露本を出した人である。
 本書113ページの元ワシントンハイツに接した坂上の角地にあったレストランナカタニと喫茶中谷が中谷良の実家ではないかと著者は推測しているが本当だろうか。
 このレストランはしゃれた造りで、当時まだ閑散としていたこの通りは自動車も止めやすく、のちの自動車評論家徳大寺有恒氏はこのあたりに車を止めて、レストランナカタニで食事をすることが多かったと語っている。 
 1950年代後半から1960年代前半の渋谷のはずれの風景である。
 本書は戦後の東京の発展史を語る上で欠かせない各種視点を見せてくれるとても刺激的な地図帳である。

 (担当/木谷)

著者紹介

赤岩州五(あかいわ・しゅうご)

昭和23年(1948)、長崎県に生まれ、金沢に育つ。同志社大学卒業。卒業後は上京してずっと東京に住む。雑誌「トランヴェール」、地図雑誌「ラパン」の編集長を務める。編集プロダクション「アイランズ2」を主宰。地図関連の著書として「アイランズ2」名義で『東京の戦前 昔恋しい散歩地図1・2』『考える力がつく子ども地図帳 日本・世界』(以上草思社)、個人名義で『東京懐かし散歩』(交通新聞社)『銀座 歴史散歩地図』(草思社)など、ほかに『藩と県』(共著、草思社)『ことわざ生活 あっち篇・こっち篇』(ヨシタケシンスケと共著、草思社)など多数。

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自然保護の世界にもあった「昔はよかった論」 『「自然」という幻想 多自然ガーデニングによる新しい自然保護』エマ・マリス 著岸由二+小宮繁 訳

「自然」という幻想
――多自然ガーデニングによる新しい自然保護
エマ・マリス 著 岸由二・小宮繁 訳

◆人気TV番組に見る外来種駆除の困難さ。駆除の労力は別のことに使った方が…

 ため池の水を抜き、外来種を駆除するというテレビ番組が人気になっています。あの番組を観てよくわかることの一つは、外来種の駆除に多大な労力を割いても、成果はあまりにも少ないということです。日本中から外来種を根絶して「過去の自然」を取り戻すのは、現実的な予算ではもはや不可能と考えざるを得ません。限られた地域で特に有害な種だけをねらい、その減少を目指す、というのが現実的なところでしょう。本書によれば、世界中で外来種駆除の費用対効果の悪さは明らかになっています。さらに、外来種の種類によっては環境や人間の生活に何ら悪影響を与えていない場合や、在来種の成育を助けている場合さえあることを報告する研究もあるといいます。手当たり次第の外来種駆除よりは、その労力や予算を別の自然保護施策に使ったほうがよさそうです。
 本書は、人間の影響を排除して「過去の自然」を取り戻すことや「手つかずの自然」を守ることばかりに固執してきた従来の自然保護を批判し、もっと多様で現実的な目標を設定する自然保護のあり方を提案する本です。では「多様な現実的な目標設定」とはどのようなものでしょうか。

◆人間が改変してしまった自然は、人間が介入して守るべきだ

 たとえば、「温暖化による絶滅の回避」です。動植物はそれぞれの種にとって好適な気候のところに生育していますが、温暖化に伴い、極方向や高地へ移動する必要に迫られています。しかし、温暖化があまりに急激なため、移動を自然に任せていると、多くの種が絶滅する危険があります。この危険に対し、市民ナチュラリストや林業関係者の一部が立ち上がり、樹木を寒冷な地へ人の手で引っ越しさせる「管理移転」を開始しました。しかし、移転先の土地ではそれらの樹木は「外来種」です。この行為を目前にし、生態学者たちは「自然への介入を許容するか」「絶滅を容認するか」というジレンマに陥りました。ところがいまや、この管理移転の指針づくりに協力するなど、生態学者たちも温暖化による絶滅回避に向け動き始めています。これは「過去の自然」の再現や「手つかずの自然」の防衛ではなく、「絶滅の回避」という目標を掲げて自然への積極的な介入を行う、新たな自然保護の形と言えます。
 本書は、「手つかずの自然」の崇拝はアメリカで生まれた文化的信条で、それが世界中に輸出されたものであることや、「過去の自然」は安定していて環境保全などの機能も優れていたという仮説が研究により否定されていることを指摘しています。「過去の自然を取り戻せば、さまざまな問題が解決する」という考えは幻想に過ぎないのです。さらにいえば、自然そのものが持つ大きなゆらぎと、人間による環境破壊により、どの時代の過去であれ、過去の自然の回復は不可能です。盲目的に過去を取り戻そうとするのでなく、「絶滅を回避する」「鳥や蝶の渡りを助ける」「在来種の繁殖を促進する」などの現実的で多様な目標を持って、積極的に自然に介入する自然保護が今こそ必要であると著者は提案しています。自然環境の行く末に少しでも興味のある方には、是非とも読んでいただきたい一冊です。

(担当/久保田)

★以下のリンクから、本書の「訳者あとがき」をご覧になれます。

honz.jp

著者紹介

エマ・マリス

サイエンスライター。自然、人々、食べ物、言語、書籍、映画などについて執筆。数年間記者として勤務していたネイチャー誌のほか、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムス、ワイヤード、グリスト、スレート、オンアースなどの雑誌・新聞に寄稿している。ワシントン州シアトル出身、オレゴン州クラマスフォールズ在住。

訳者紹介

岸由二(きし・ゆうじ)

慶應義塾大学名誉教授。生態学専攻。NPO法人代表として、鶴見川流域や神奈川県三浦市小網代の谷で〈流域思考〉の都市再生・環境保全を推進。著書に『自然へのまなざし』(紀伊國屋書店)『リバーネーム』(リトル・モア)『「奇跡の自然」の守りかた』(ちくまプリマー新書)など。訳書にドーキンス『利己的な遺伝子』(共訳、紀伊國屋書店)ウィルソン『人間の本性について』(ちくま学芸文庫)ソベル『足もとの自然から始めよう』(日経BP)など。国土交通省河川分科会、鶴見川流域水委員会委員。

小宮繁(こみや・しげる)

 慶應義塾大学理工学部講師。慶應義塾大学文学研究科博士課程単位取得退学(英米文学専攻)。専門は20世紀イギリス文学。1989~91年、ケンブリッジ大学訪問講師。2012年3月より、慶應義塾大学日吉キャンパスにおいて、雑木林再生・水循環回復に取り組む非営利団体、日吉丸の会の代表をつとめている。訳書にステージャ『10万年の未来地球史』(岸由二監修、日経BP)。

 

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Amazon:「自然という幻想 多自然ガーデニングによる新しい自然保護」:エマ・マリス著 岸由二・小宮繁 訳:本

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努力が「結果」に直結する働き方・学び方とは? マウスコンピューターを傘下に持つMCJ社長による唯一無二のキャリア論! 『極端のすすめ』安井元康 著

極端のすすめ

――やることは徹底的にやる、やらないことは徹底的にやらない

安井元康 著

 本書の著者は、20代にして上場企業2社の役員をつとめ、ケンブリッジ大学でMBAを取得後に入社した有名コンサルティング会社では30代半ばで幹部に昇進、そして30代後半でMCJ(東証2部)の社長に就任して現在にいたる、という仰天すべきキャリアの持ち主です。
 こういう経歴から、絵に描いたようなエリートを想像される方も多いかもしれませんが、著者は決して世間一般でいうところの「エリートコース」を歩んできた人物ではありません。都立高校から中堅私大と呼ばれる大学を経て、就職氷河期のどまん中にベンチャー企業に入社――。それが著者のキャリアの出発点です。
 そんな著者が急激なキャリアアップをなしとげることができた理由、それこそが「極端に振りきるマインド」を一貫して持ち続けたことでした。本書は著者がこれまで実践してきた極端な働き方・学び方を紹介するとともに、その背景となる考え方についてもていねいに解説した本です。たとえば、オール5志向を捨てて自分のコアとなるスキルを「極限値」まで高めること。自分の目の前にある課題に「最高レベル」の努力で挑むクセをつけること。そうしたマインドを育むことが何より大切なのだと著者は述べています。先が見えない時代を生きている私たちに、これ以上はない明快さで指針を与えてくれる一冊といえます。

【本書より】
〇魅力的な社会人とは「できること」がはっきりしている人。そのためには極端に振りきって自分のスキルを磨きあげる必要がある。
〇人材をマネジメントする側からいえば、極端な社員とは「何が頼めるか」が明快で頼もしい存在。
〇失敗を避けようとしてはいけない。失敗は「軌道修正」するためのきっかけにすぎない。
〇「人に認めてもらうこと」をゴールにしてはいけない。承認欲求は棚上げしよう。
〇自分が仕事をしている業界の「極端人」を研究して、そこからエッセンスを学ぶ。
〇会社の飲み会には出なくていい。
〇わからないことを「質問する」という行為は生産性の高い行為。
〇学習時間は24時間から最初に「天引き」して強引につくる。
〇「T字型」スキルの人間ではなく、「傘型」スキルの人間をめざせ。
〇一つのことを完全になしとげる経験によって、マルチタスクをこなす能力が身に付く。
〇自分の仕事の中で、「付加価値を生まない業務」はギリギリまで仕組化・効率化し、付加価値が生まれる業務に最大限の労力を注ぐ。

(担当・碇)

著者紹介

安井元康(やすい・もとやす)

MCJ社長。1978年東京生まれ。都立三田高校、明治学院大学国際学部卒業後、2001年にGDH(現ゴンゾ)に入社。2002年に株式会社エムシージェイ(現MCJ)に転職し、同社のIPO実務責任者として東証への上場を達成、26歳で同社執行役員経営企画室長(グループCFO)に就任。その後、ケンブリッジ大学大学院に私費留学しMBAを取得。帰国後は経営共創基盤(IGPI)に参画。さまざまな業種における成長戦略や再生計画の立案・実行に従事。同社在職中に、ぴあ執行役員(管理部門担当)として2年間事業構造改革の他、金融庁非常勤職員等、社外でも活躍。2016年にMCJに復帰、2017年より同社社長兼COO。2014年より東洋経済オンラインで「非学歴エリートの熱血キャリア相談」を連載中。著書に『非学歴エリート』『下剋上転職』(ともに飛鳥新社)、『99・9%の人間関係はいらない』(中公新書ラクレ)などがある。

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『マツダの魂――不屈の男 松田恒次』著者からのコメント:中村尚樹

マツダの魂 ―― 不屈の男 松田恒次

中村尚樹 著

著者からのコメント

 昭和ひと桁世代の私の父は、山陰地方の海岸沿いにある小さな町で生まれ育ちました。戦後の物資不足の時代に運送業を始めた父は、木炭などの代用燃料を使ったトラックを運転し、朝早くに漁港で水揚げされた魚を積んで大きな町まで毎日、運びました。その頃は食糧難だっただけに、お客さんからは喜ばれ、いい稼ぎにもなったと、懐かしそうに話してくれました。
 高度経済成長の時代に入ると少しずつ、トラックの台数も増えていきました。私のまだ幼かった頃、会社の二階が自宅、一階が事務所という家族経営の環境のなかで、私の遊び場は、トラックが数台入るターミナルでした。そこで私の目を惹いたのが、マツダの三輪トラックだったのです。ひとつしかない前輪が、おちょぼ口のように見えて、なんとも愛嬌のある表情が印象に残っています。
 小学生になると、テレビ放送された「帰ってきたウルトラマン」で、MATの隊員が乗るコスモスポーツは、憧れの的でした。
 私が成長してクルマを買えるようになると、1600ccの初代ユーノス・ロードスターを購入しました。マツダの誇るロータリーエンジンではなく、レシプロエンジンでしたが、まさに“人馬一体”という表現がぴったりする走りの楽しさは、何回乗っても薄れることはありませんでした。それまで400ccのオートバイに乗っていた私ですが、マツダのすごさを体感しました。

 ところで私は、職業としてジャーナリストを選んだのですが、30年以上になる記者人生で一貫して取材し続けているのが、被爆者と核問題です。アメリカが広島、長崎に投下した原子爆弾で、核時代が始まりました。核というパンドラの箱を開けてしまった人類に、福島の原発事故や、北朝鮮の核問題など、難問が次々と押し寄せます。
 そんな私が注目したのが、被爆地広島で発展を遂げたマツダでした。これまでロータリーエンジンをめぐる開発秘話については、“ロータリー四十七士”と呼ばれた技術スタッフの努力がたびたび語られてきました。しかし、なぜ廃墟と化した広島の地でマツダが復興し、なぜ地方の後発メーカーであるマツダがロータリーエンジンを開発しえたのか、その理由について、十分に納得のいく説明が得られる文献は見当たりませんでした。そこで私なりに資料を収集し、状況証拠を積み重ねながら、マツダの歴史を再構成したのが本書です。

 主人公の松田恒次氏は、父親から社長職を引き継ぎましたが、単なる世襲社長ではありません。病気で片脚を切断した障害者であり、被爆して弟を亡くし、専務時代には会社を事実上追放されるという挫折も味わいましたしかし、そのたびに立ち上がった、“敗れざる者”なのです。
 私は障害者に関する本を何冊か書いていることもあって、恒次氏のものの見方に共感するところが、多々ありました。“作る側の論理”よりも“使う側の論理”、“組織の論理”よりも“個人の論理”に重きを置いている。それが恒次氏の自然体なのです。
 同時に、人間関係に悩んだ恒次氏が犯さざるを得なかった過ちも、首肯することはできませんが、理解することはできました。つまりは、とても人間くさい人物なのです。その恒次氏の個性が確かに、マツダのクルマづくりに今でも反映されている。私にはそう感じられるのです。
(中村尚樹・ジャーナリスト)

著者紹介

中村尚樹

1960年、鳥取市生まれ。九州大学法学部卒。NHK記者を経てジャーナリスト。専修大学社会科学研究所客員研究員。九州大学大学院、法政大学、大妻短大等で「平和学」「地方分権論」「多文化コミュニケーション」等担当非常勤講師を歴任。著書に『占領は終わっていない――核・基地・冤罪そして人間』(緑風出版)、『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』、『認知症を生きるということ――治療とケアの最前線』、『脳障害を生きる人びと』(いずれも草思社)、『被爆者が語り始めるまで』、『奇跡の人びと――脳障害を乗り越えて』(共に新潮文庫)、『「被爆二世」を生きる』(中公新書ラクレ)、『名前を探る旅――ヒロシマ・ナガサキの絆』(石風社)。共著に『スペイン市民戦争とアジア――遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会)、『スペイン内戦とガルシア・ロルカ』(南雲堂フェニックス)、『スペイン内戦(1936~39)と現在』(ぱる出版)ほか。

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マツダの魂 | 書籍案内 | 草思社

高学年以降は伸びづらい「見える力」を育む 『考える力がつく算数脳パズル 図形なぞぺー<小学1年~3年>』高濱正伸ほか著

考える力がつく算数脳パズル 図形なぞぺー<小学1年~3年>

高濱正伸 著/川島慶 著 /新山智也 著

◆子どもが自分からやりたがる! シリーズ60万部突破の人気問題集に新作登場

 シリーズ累計60万部突破した人気の問題集『なぞぺー』シリーズに、図形・幾何問題の基礎力を育む『図形なぞぺー』が加わりました。『なぞぺー』シリーズは、著者が主宰する大人気学習教室・花まる学習会で使われてきた問題集を書籍化したもの。花まる学習会は、幼児や小学生の数理的思考力を伸ばすことに定評がある学習塾ですが、『なぞぺー』はそのコアとなる教材です。掲載されているのは、子どもたちが自分から楽しみ、夢中で取り組めるよう、教育の現場で子どもたちの反応を見ながらつくられ、改良されてきた面白い問題ばかりです。『なぞぺー』シリーズは保護者の方々からも「子どもが自分からやりたがる問題集」と、高い評価をいただいてきました。

◆高学年以降は伸びづらい図形・幾何の基礎力「見える力」が身につく

 著者の高濱正伸さんは、教育の現場での長年の経験から、子どもの数理的思考力の成長には臨界期があり、小学校3年生くらいまでに伸ばせるかどうかで、その後に大きな違いが生まれると感じてきました。とくに、高濱さんが「見える力」と呼ぶ能力には、その傾向が強いようです。「見える力」とは、「補助線」が思い浮かぶ力や、図形の中の必要な線だけを選択的に見る力、図を描くなど試行錯誤して答えを見つける能力のこと。子どもが将来挑むことになる、図形の証明問題、面積や角度を求める問題といった幾何学の領域では、問題にどこから手をつけてよいかが一様でなく、マニュアルが通用しないため、「見える力」が非常に重要です。そのため、この能力の有無が、学力の伸びに大きな差を生むことになるのです。
 本書『図形なぞぺー』はこの「見える力」をテーマとした問題集で、しかも子どもたちが遊びのように取り組める「パズル」としてつくられています。実際に解いてみるとわかりますが、大人もすぐには答えにたどり着けないのに、子どもでも解くことができる絶妙な難易度で、解けたときに「できた!」と声に出したくなるような、心地よい達成感が得られるようつくられています。
ぜひ、親子で「できた!」と声に出しながら、数理的思考力を育んでください。

(担当/久保田)

著者紹介

高濱正伸(たかはま・まさのぶ)
1959年、熊本県生まれ、東京大学大学院修士課程卒業。93年に、学習教室「花まる学習会」を設立。算数オリンピック委員会理事。著書に『小3までに育てたい算数脳』(健康ジャーナル社)、『考える力がつく算数脳パズル』シリーズの『なぞぺー1~3 改訂版』『空間なぞぺー』『整数なぞぺー』『迷路なぞぺー』『絵なぞぺー』(以上、草思社)などがある。
川島慶(かわしま・けい)
1985年神奈川県生まれ。栄光学園高校・東京大学・同大学院卒。2011年、花まる学習会入社。2014年、株式会社「花まるラボ」を設立。2016年、思考力教材アプリ「Think! Think!」を一般公開。2017年、同アプリが米Googleにより子ども向けアプリの世界ベスト5に選出(Google Play Awards 2017)。高濱との共著に『考える力がつく算数脳パズル 迷路なぞぺー』、同シリーズの『新はじめてなぞぺー』『整数なぞぺー』『論理なぞぺー』『絵なぞぺー』(以上、草思社)など。
新山智也(にいやま・ともや)
1989年山口県生まれ。東京大学理学部卒。株式会社 花まるラボの問題作成を担当。花まる学習会の進学部門にて、最難関中学をターゲットにした授業の教材開発や指導をしながら、思考力教材アプリ「Think!Think!」の問題作成などを行う。

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考える力がつく算数脳パズル 図形なぞぺー<小学1年〜3年> | 書籍案内 | 草思社