日本が未曾有の試練に見舞われた太平洋戦争最後の一年を一月一日から十二月三十一日まで、ときの推移に従って、日本の全社会がどのように動いたかを描く巨大ノンフィクション、『昭和二十年』。著者の急逝のため未完に終わった本シリーズ全13巻の文庫版刊行が、このたび完結した。
その第13巻に付された、担当編集者による「編集部あとがき」をここに公開します。
『昭和二十年』第13巻 編集部あとがき
鳥居民著『昭和二十年』はここで絶筆となっている。二〇一三年(平成二十五年)一月四日朝、連絡があり、鳥居民(本名池田民)氏が倒れられ、救急搬送されたが、絶命したとのことであった。朝のシャワーを浴びている最中だったとのことである。享年八十四。
大作『昭和二十年』はここで未完となった。生前、「別冊文藝春秋」誌の対談で丸谷才一氏、井上ひさし氏により、完成すればギボンの『ローマ帝国衰亡史』に匹敵する昭和日本の全社会史になるだろうと言われた稀有な試みは、残念ながら完結しなかった。鳥居民氏ご本人が一番無念だったであろう。あるいは鳥居民氏らしく、自嘲気味に「仕方ないですね」と笑ったであろうか。
鳥居民氏は編集者と前年十二月中旬、新宿駅頭で別れた時に「『昭和二十年』第十四巻は八割がた完成しているから年明けには渡せるでしょう」と言っていた。しかし、残されたパソコン・データ内にあった原稿を精査してみたが、完成原稿というには程遠く(いつもの空手形であったのだろうか)、これをそのまま刊行することは、氏の遺志にそぐわないと考えたため、多少整理の手を加え、完成されていた部分だけを、かなり縮小した形で『昭和二十年/別巻』として後日、刊行する予定である。
『昭和二十年第十四巻』は「ポツダム、そのあいだの日本」と題され、七月三日から七月二十八日までを扱う予定であった。六月二十二日の和平への政策転換以降、対ソ交渉もはかどらず、事態は小康状態となる。その間、国内は地方都市への激しい空襲や東京の再疎開問題に関心は向けられていた。トルーマンは戦艦オーガスタで太平洋をわたり、ポツダムへ向かい、チャーチル、スターリンと会談する。戦後の荒廃したベルリンとポツダムの状況、そこで日夜繰り広げられた、虚々実々の駆け引きが描かれる。天皇保全条項が除かれたポツダム宣言が発表されるまで。
このあと『昭和二十年』は二巻ないし三巻で第一部が完結し(八月十五日だけは一日一巻で描かれる予定だった)、第二部は三巻か四巻で終わるはずであった(となると全二十巻ぐらいか)。鳥居さんはいつまで(何歳まで)生きるつもりだったのであろうか。戦後編の構想は、ほかに書き残した著作などから、かろうじて推し量ることができるかもしれない。氏の昭和史関係の著作はほかに『日米開戦の謎』『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』『山本五十六の乾坤一擲』(この書だけ文藝春秋社刊、他はすべて草思社刊)『近衛文麿「默」して死す』『鳥居民評論集 昭和史を読み解く』があり、後の二書に多少、氏の戦後史観をうかがうことができる。
『昭和二十年第一巻』は正月、熱海大観荘での近衛の述懐から始まるが(どうやったら綺麗な顔で死ねるか、という)、昭和二十年十二月半ばの近衛の自殺までが主筋の一つであったようだ。八月三十日マッカーサーが厚木にやって来るが、近衛はそれ以前からすでに動き始める。だが、E・H・ノーマンの登場によって木戸対近衛の対立は、鳥居氏言うところの戦後日本を規定した木戸・ノーマン史観の勝利に終わる。十月はじめ徳田球一、志賀義雄が府中刑務所から解放される。十一月近衛が駆逐艦アンコンに呼ばれ査問される。ノーマンがマッカーサーに提出した、いい加減な戦犯リストをもとに日本は裁かれることになった。沖縄は、満州は、中国大陸はどうなったか。いよいよ風雲急を告げる昭和二十年の日本。あたかも安手の娯楽映画の予告編のようであるが、このあとは鳥居民氏の志を引き継いでどなたか有為の研究者に書いていただければと切に念じている(鳥居氏の蔵書・資料は草思社で保管しているが未整理のままである)。
このシリーズ独自の指摘として例えば次のようなことが挙げられる。
(1) 二十年二月の重臣上奏は貞明皇后の前年末からの働きかけにより行われたこと。
(2) 木戸内大臣の責任の大きさ。開戦時および和平への転換で判断を誤ったこと。
(3) 昭和十九年春からの大陸での一号作戦(大陸打通作戦)が戦後の局面をすっかり変えたこと。
(4) 原爆投下とトルーマンの確信犯的行動。など
死んだ子の齢を数えるようだが、もし完成していたなら、本書は朝日新聞的・NHK的ではないまったく別の昭和史観がありうるということを示せたはずなのだ(この未完の部分だけでも十分に伝わってくるのだが)。それはおそらく昭和を生きて、何も言葉を残さずに死んでいった多くの民衆の本音の部分に、これまで書かれたどの史書よりもっと深く響いたはずである。
ここまで読んでくださった読者の方々にお礼を申し上げます。
(担当・木谷)
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