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友人や師、両親との交流を自叙伝的に描く渾身の傑作批評集! 『放蕩の果て 自叙伝的批評集』福田和也 著

放蕩の果て

――自叙伝的批評集

福田和也

「言葉はどこからもやって来ず、私は言葉を探し、追いかけている」
食って飲んで酔っ払い、月に三百枚もの原稿を書いた批評家・福田和也氏は、現在62歳。病に蝕まれ、食べられなくなり、ついに言葉も遠ざかってしまったと打ち明けます。
「遊びほうけていた高校生の時から今日にいたる、自分の来し方を思い返した。今、自分を支えているものは何かと考えた」(あとがき)と、これまで耽溺してきた文学、演劇、映画、美術、音楽、酒、料理、旅の記憶を回想しながら、友人や師、両親との交流を自叙伝的に描いたのが本書です。
「日本史探訪」、『仁義なき戦い』、三島由紀夫『わが友ヒットラー』、つかこうへい、ミッシェル・ポルナレフイギー・ポップ芥川龍之介『河童』、市倉宏祐、ドゥルーズ=ガタリ『アンティ・エディップ』、ドリュ・ラ・ロシェル『ジル』、ジョルジュ・ベルナノス、永井荷風金子光晴ヘミングウェイ『移動祝祭日』、澤口知之江藤淳、坂本忠雄、石原慎太郎白洲正子坪内祐三石原莞爾北大路魯山人、カラヴァッジョ、松田正平、洲之内徹野見山暁治横尾忠則三浦朱門遠藤周作、セルジュ・ゲンスブールアンドレ・ケルテス『読む時間』、小林旭美空ひばりクリムトツヴァイク獅子文六宇能鴻一郎和辻哲郎丸山眞男清水幾太郎福田恆存山本七平中野重治……。
真実の文章を書くことに対して、前向きに、単純に生きるために書かれた、「復活への祈りの書」を是非ご堪能ください。

(担当/渡邉)

 

[「あとがき」より]
批評は、一個の独立した作品である。
文芸なり、音楽なり、美術なりの鑑賞を出発としながら、感想が批評になる時、批評は媒体から完全に独立した、文芸、音楽、美術、その物になる。
批評ほど、多くの手法やディスクールを必要とするジャンルはない。これは批評が体験の再現ではなく、体験それ自体であるという本質に由来する。恋愛小説、戦争小説は存在し得ても、恋愛批評や戦争批評は存在しない。批評は恋愛自体であり、戦争自体であるからだ。
ゆえに批評が文芸に持つ力は、啓蒙的な忠告や情報の提供ではなく、作品として発する力である。
作品としての性格を持ちながら、批評は最終的に一個の認識である。批評文が様々な様式を消費して世界を作るのは、外部の支えや媒体を用いては届かない認識を求めるからだ。というよりも、この認識への意志によってのみ、批評は作品であることができる。

 

[目次]
第一部 放蕩の果て
私の独学ことはじめ
江藤淳氏の死に際して痛切に感じたこと
妖刀の行方――江藤淳
食うことと書くこと
絵画と言葉
三浦朱門の『箱庭』
Let It Bleed――料理人・澤口知之
声――フランスと日本と
小林旭という旅
世紀末ウィーンをめぐる考察――技術、耽美、人道
獅子文六の内なる日本
『味な旅 舌の旅』――宇能鴻一郎
「目玉だけになるのが難しいのよ」――白洲正子
文学という器――坪内祐三
最後の冒険――石原慎太郎

第二部 思惟の畔にて
鎖国和辻哲郎
『開国』丸山眞男
『私の心の遍歴』清水幾太郎
『総統いまだ死せず』福田恆存
『文化防衛論』三島由紀夫
『私の中の日本軍』山本七平
「雨の降る品川駅」中野重治

あとがき

 

著者紹介

福田和也(ふくだ・かずや)

1960年、東京都生まれ。批評家。慶應義塾大学名誉教授。著書に『日本の家郷』(三島由紀夫賞)、『甘美な人生』(平林たい子文学賞)、『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』(山本七平賞)、『悪女の美食術』(講談社エッセイ賞)、『福田和也コレクション1 本を読む、乱世を生きる』、『世界大富豪列伝 19‐20世紀篇』、『世界大富豪列伝 20‐21世紀篇』、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』ほか多数。

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