草思社のblog

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殺人者はどう裁かれるべきか?『殺人者たちの「罪」と「罰」 イギリスにおける人殺しと裁判の歴史』ケイト・モーガン著 近藤隆文・古森科子訳

殺人者たちの「罪」と「罰」

――イギリスにおける人殺しと裁判の歴史

ケイト・モーガン 著 近藤隆文・古森科子 訳

「殺人」とは何か? そして「殺人者」を裁く法はどのような経緯で成立したのか? 
実際に起きた驚愕の事件を俎上にのせ、「正しい裁き」をめぐる社会意識の変遷をたどる
スリリングな考察!

 洋の東西を問わず、殺人という最悪の行為は多くの人々の関心を集めるテーマであり続けています。これまでにさまざまな凶悪事件や猟奇殺人、その背景に焦点を当てた書物が刊行されており、小説や映画においても「殺人事件」は一大勢力となっています。では、そうした殺人を裁くための法律はどのような経緯で(どのような事件がきっかけとなって)制定されたのでしょうか。そして、そもそも「殺人」とは法的にどのように定義されるものなのでしょうか。
 本書(原題は“MURDER: THE BIOGRAPHY”)は「殺人」という罪が規定されてゆくプロセスを、英米法の祖国イギリスの現役弁護士がリーダブルにつづった一冊です。本書の冒頭(イントロダクション)で著者は下記のように書いています。
〈殺人の真実はどんなフィクションよりも奇妙で、暗鬱とし、人の心をつかんで離さない。それは物語の継ぎはぎ細工、罪と罰の物語であるばかりか、正義と不正義の物語、人間と土地、ごく個人的な悲劇の物語だ。そのどれもが絶え間ない社会の変化と政治的激動を背景に起こっている。この歴史をたどることで、こうした死が今日の私たちの生活に与えてきた影響が見えてくるだろう。〉
 殺人をどのように定義づけ、裁くのかという切り口から、社会や人々の意識の変遷もかいまみえるという意味で、本書は異色の社会史ということもできるかと思います。本書では、驚くような事件やその犯人たちについても紹介されていますが、それらを通じて見えてくるのは、今日の日本でもしばしば問題になる「責任能力はどこまであるのか」「過失だったのか、意図的に引き起こされた死なのか」といった論点が実際の法律に落とし込まれるまでに、長きにわたる論争があったということ、そして、その時々の社会状況よって法の適応や解釈が大きくブレてきたということです。
 著者は殺人について「法律そのものは数世紀にわたって何千もの鋳型で形成されてきたが、その担い手となるのは真の悪人というより、不運な人、思慮を欠く人、思い違いをした人が多い。(中略)人間関係がわずかにこじれ、関係者全員に恐ろしい結末をもたらした物語なのである」と述べています。私たちが殺人事件に関心を抱くのは、それを無意識のうちに察知しているからかも知れません。「殺人と法」という視点から人間社会の不可思議さに切り込む本書は、日本人にとっても示唆に富む一冊といえるのではないでしょうか。

(担当/碇)

 

【本書より抜粋】
〈約一〇〇〇年前に法で定められて以来、この最も恥ずべき犯罪は、何よりも実在の人物によって決定づけられてきた。法廷で事件を審理される殺人者と犠牲者、彼らの運命を左右する裁判官、陪審員、弁護士、そして法の施行後も人々の命を握ってきた政治家や君主たち。この英国の殺人史は、命を奪うことが正当化あるいは容赦されるとしたら、それはどんな場合なのか、また、ときに極悪な行為におよぶ善良な人々をどう酌量すべきなのか、といった大きな問題をはらんでいる。〉

〈最新のデータから大まかな結論をいくつか引き出すことは可能だ。殺すのも殺されるのも圧倒的に男性が多く、犠牲者の六四パーセント、殺人容疑者の九二パーセントを占める。男女とも、自宅が最も命取りになる場所であり、殺人事件の大多数は犠牲者の住居で発生している。驚くべきことに、女性の犠牲者の四〇パーセント以上が現在または過去のパートナーに殺されていたが、男性は友人や知人に殺害されるケースが最も多い。シップマン医師のような連続殺人犯が見出しをさらう一方で、〝見知らぬ者の危険性〞は統計では証明されない。〉

 

【目次】
イントロダクション 汝、殺すなかれ

第一章 決闘場
・文学者がポン引きを殺したのは正当防衛なのか?
・武力で自分の名誉を守る権利―決闘
・決闘裁判の慣習を蘇らせた男
・殺人にいたる理由を視野に入れる

第二章 悪の狂気
・心神喪失の申し立てをした男
・国王を銃撃した男のその後
・暗殺(assassination)の概念
・心神喪失に関するルール―「マクノートン準則」
・少女の首を切り落とした男の精神状態
・心神喪失を認められながらも有罪となった男
・外的な圧力や絶望的な状況は殺人の理由になるのか?

第三章 自治領の外へ
・「海の慣習」としてのカニバリズム
・少数の犠牲に多数の運命が左右される海難事故の法的ジレンマ
・第一次世界大戦下で起きた最も衝撃的な殺人事件
・結合双生児を切り離す手術に違法性はないのか?
・変動していく謀殺と故殺の境界線

第四章 まかせてください、医者ではないので
・故殺罪の審理を受けることになった「スラムの開業医」
・医師の過失とミスの隠蔽
・新たなカテゴリー「重過失故殺」の誕生
・有罪を証明するのは訴追側の義務
・自動車事故と重過失故殺
・殺人法を変えてきた人々

第五章 収穫逓減とキャピタル・ゲイン
・挑発という由緒ある抗弁
・挑発に関する法律の限界
・「やってやれ」――共同企図
・一九五七年殺人法――謀殺に対する三つの部分的抗弁の導入
・限定責任能力の概念をどう適用すべきか
・ベントリーとエリスの有罪判決をめぐる論争
・死刑廃止以降の問題

第六章 HIRAETH
・謀殺の概念に疑問を投げかけさせた事件
・災害における刑事責任の欠如
・殺害する意図がない場合の罪はどうなるのか?
・ヨークシャーの切り裂き魔との対比

第七章 鏡に口紅
・控訴院の欠陥と司法過程における役割
・虐待に苦しむ女性と挑発に関する法律の見直し
・蓄積された挑発という考え方
・〈ブリッジウォーター・フォー〉の解放
・刑事事件再審委員会の設立
・殺人法の盲点にもなる大量殺人

第八章 法人
・企業を故殺で有罪にはできないのか?
・会社の故殺罪をめぐる六〇余年ぶりの裁判
・「一年と一日ルール」の廃止
・法人故殺法の成立

第九章 謀殺:手引き
・謀殺の神話と現実とのあいだにあるずれ
・限定責任能力と挑発の新たな定義
・「挑発の抗弁」から「自制心の喪失」へ
・殺人に関する責任の範囲を広げる根拠
・法人故殺罪の適用
・嬰児殺しを取り巻く法律
・「危険な自転車運転致死」罪を導入すべきか
・たえず変化してきた謀殺法

 

著者紹介

ケイト・モーガン(Kate Morgan)

2008 年に事務弁護士の資格を取得。長年にわたり水道業界で上級社内弁護士を務め、現在はカンパニーセクレタリーとして企業の法務や管理業務に携わる。そのかたわら、Commercial Litigation Journalをはじめとする法律専門誌に執筆し、季刊文芸誌Slightly Foxed に寄稿してきた。本書は著書第一作。

訳者紹介

近藤隆文(こんどう・たかふみ)

翻訳者。一橋大学社会学部卒業。主な訳書に、マクドゥーガル『BORN TO RUN 走るために生まれた』、フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(以上、NHK出版)、ネスター『BREATH:呼吸の科学』(早川書房)、マカナルティ『自閉症のぼくは書くことで息をする:14歳、ナチュラリストの日記』(辰巳出版)、スピーノ『ほんとうのランニング』(木星社)などがある。

古森科子(こもり・しなこ)

翻訳者(英日・日英)。日本大学国際関係学部卒業。AFS第35期生として米国オレゴン州に留学。社内翻訳者を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。共訳書:『【閲覧注意】ネットの怖い話 クリーピーパスタ』(早川書房)。翻訳者グループ「自由が丘翻訳舎」の一員。

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